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2019年03月05週
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 東電福島の事故から8年、その8年を振り返ったいくつかの文章が集められ雑誌などの特集になっています。それらは、およそ以下のような内容になっていますが、必ずしもあの事故の全体や、今後について明らかにしているないしはえぐっている訳ではありません。あの事故の全体像を把握するのに必要不可欠と思われるいくつかの点について検討します。こうしたことを言い得る根拠は、2011年3月11日以降、事故の言説について、可能な限り具体的な資料にあたり検討し書き残してきたことに基づいています。それらが「じしんなんかにまけないぞ こうほう」であり427号を数ええることになっています。
「特集原発事故下の8年」(「科学/3」岩波書店)。
・葬られた津波対策をたどって③ 島崎邦彦
・津波リスクを葬り破局に進む「七つの会議」 添田孝史
・積み残されたままの原発事故原因、事故分析 その(1) 田中三彦
・原発事故の汚染土、再利用に反発の声相次ぐ 青木美希
・福島原発事故8年後の回想と爪痕 佐藤曉
・福島県の甲状腺検査結果の動き 平沼百合
・被曝防護には空間線量そのものを使うことが妥当である 黒川真一
・3.11以後の科学リテラシー 牧野淳一郎
「特集福島を見つめ、伝える/震災8年、風化、風評、報道されない日常」(「Jounalism/3」朝日新聞社)。
・ペダルを踏んで、見て会って考えた「奥の細道」を巡る旅から、ドリアン助川
・福島をバイアスから解き放ち中間集団の再構築を 開沼博
・海越え息づく「」を巡る旅/福島と沖縄 命と営みを見つめ 中江・・
・震災8年、忘却と無為関心に抗うためにメディアはプレイヤーとして地域の中に 小松・・
・「福島をずっと見ている「」の8年 ・・小川謙治・原義和
・違う社会つくる礎になれば・・・・
「東日本大震災8年」(毎日新聞、2019.3.7)。
・廃炉続く綱渡り/作業の限界30分/処理水処分根拠確立目指す
・除染先見通せず/復興拠点以外は不明/中間貯蔵施設・土壌241万立方メートル搬入
 「Jounalism」では、ほぼ事故後を解説する言説になっているのに対し、「科学」が、事故原因、事故の事実そのものに迫ろうとするのには理由があります。原子力発電所
の事故、中でもそれが重大事故になる可能性がある限り、事故原因、事故の事実に迫ることは、この施設の存在の意味をあらゆる側面から検討しなければならないからです。
 原子力発電所の稼働には、放射性物質を完全に閉じ込め環境中には放出させないことが条件でした。それは、放射性物質がその濃度によっては高い致死性を持っておりどんなに微量であっても、生物の生命活動を脅かす物質であって、その毒を中和ないし除去することが不可能であるからです。
 放射性物質の取扱いにあたり、たとえば発電に使う場合、それを閉じ込める為に施設は2重、3重の機密性を持つことになっていました。万一の事故の場合でも施設内で修復可能であることが絶対条件でした。しかし、それが機械・技術である限り、施設の完全性を保証することはできませんでした。事故の可能性が全く無いとは言えなくて、そんな事故が起こりうることの可能性を、14万年に1回、1億年に1回とし、それを「重大事故」としていました。
 いかなる施設であっても、事故の可能性を全く否定はできません。原子力発電所の場合も施設内が修復不能な事故が重大事故で、事故及び事故対策の「マニュアル」では、事故の重大性の初期の段階では対応が示されており、「修復可能」としていますが、重大事故では修復の道筋が示されていません。
 その「重大事故」が東電福島の事故であり、東電福島の事故までは、重大事故は起こらないことが前提で稼働していました。そのような施設として理解されていたのが原子力発電所です。東電の事業案内にも重大事故は起こらないことになっていましたし、「原子力安全機構」の事故についての検討でも同様で、「重大事故」の対策は示されていませんでした。
 その重大事故の起こってしまった、2011年3月11日から後が「原発事故下の8年」です。もし、その8年を事故の事実に即して見るとすれば、「福島を見つめ、伝える」は、修復不能な事実を事実として伝える以外ないことになりますが、必ずしもそうはなっていません。「科学」は、科学の名において発行されている雑誌ですから、科学論文のいくつかが、事故原因・事故分析にさかれているのは当然です。決して、放射性物質を環境中に放出してはならない施設であるとすれば、どんなにささいで少なくてもその原因となる事柄についての対策は絶対条件であったのですが、事業者は対策を取らない、ないしは先送りしてしまいました。
 「Journalism」の言説のいくつかは、この事実を抜きにして論を展開しているように読めます。その最もたるものが「福島をバイアスから解き放ち中間集団の再構築を」の開沼論文です。開沼論文については、その全体に辻手の感想は野辺りうことにしますが、ここでは東電福島の事故の8年の、前掲のいずれにおいても直接言及されていない、「東電刑事裁判」について、それがなぜ避けて通れない問題であるかについて検討します。東電福島の事故は、直接には2011年3月11日の地震による津波が、原子力施設の稼働にとって不可欠である、非常用電源が浸水し電力供給ができなくなった結果起こりました。一部発電施設については、津波による浸水以前に、地震によって施設の機能が失われていたことを否定し得ないという見解も示されています。前掲、「科学」田中三彦。東電・国は事故発生直後から、地震及び津波の規模は想定外であったとして、「責任」を回避してきました。東電刑事裁判は、その「想定外」を、過去の大津波の歴史的事実、そうした事実をもとに大津波対策の堤防のかさ上げなどが、具体的に検討されていた事実を明らかにしてきました。大津波は想定されていたのです。「地震調査研究推進本部(地震本部)が2002年7月31日に、『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について』を発表した。福島沖でも1869年の三陸沖(明治三陸沖地震)と同様な大津波をもたらす地震(津波地震)が発生する可能性があると予測していた。この長期評価に、東電が適切に対応していたかどうかが争点となっている」「地震本部の発表から5日後の8月5日、保安院の川原・耐震班長は『説明を聞きたい』と東電の班長を呼び出した」「刑事裁判30回公判(2018年12月27日)で、この日呼び出された担当者は、高尾誠氏だったことが初めてわかった。高尾氏は事故までの15年間、東電本店の土木部門で津波や活断層の調査を担当していた」「保安院に呼び出されたとき、高尾氏は計算を免れるため、二つうそを並べ、そして、実現できそうにないことを一つ言っていた」「うその一つは、『土木学会の報告書では、福島~茨城沖の海溝寄り領域において津波地震ンは発生しないと判断している』と説明したことである」「もう一つのうそは、保安院からの宿題に、事実と異なる返答をしたことだ」「実現できそうもなかったことは、保安院の要請に対して『確率論的な手法で対応する』と言ったことである」(以上、「科学/3」添田)。
(次週につづく)
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