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小さな手大きな手

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2019年04月01週
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(前週よりのつづき)
 結果、およそ150年前に東電福島の立地する三陸沖で、大津波をもたらす地震が発生していた事実と、それに基づいた対策を先のばしないし怠ってしまいました。そして、2011年3月11日、巨大地震、巨大津波が東電福島の防波堤を超え、非常時に必要な施設が浸水し、東電福島の重大事故になってしまいました。放射性物質を閉じ込める防護施設の建屋と呼ばれるコンクリートの施設が爆発で吹っ飛び、その内部で放射性物質を閉じ込める格納容器、圧力容器が、燃料の溶融によって同じように溶けてしまい、大量の放射性物質が環境中に放出され、東電福島を中心に広い範囲に降り注ぎ、10市町村を越える住民がそれら市町村で住めなくなり、かつ被曝することになりました。
 しかし東電・国は、こうして始まってしまった重大事故を「想定外」としそれ以上の原因究明も、責任も取ろうとしませんでした。「東電刑事裁判」は、東電・国の「想定外」の論理を崩し、原因の究明・責任を問う裁判として闘われてきました。裁判は、3月12日に弁護側の最終弁論があって終結し、9月19日に判決が下されることになりました。弁護側は最終弁論で「事故の予見可能性が認められないのは明らかだ」とし、3人の被告、勝俣恒久(元会長)、武黒一郎(元副社長)、武藤栄(元副社長)の無罪を主張しました。以下、弁護側の最終弁論骨子です。(3月13日、福島民報)。
・事故の予見可能性が認められないのは、明らか、3人は無罪だ。
・長期評価は具体的な根拠が示されておらず、信頼性や成熟性はなかった。
・事故を回避する義務が生じるには、原発敷地の東側全体に10~13メートルを超える津波が来るとの予見可能性が必要。
・情報を収集し、過去に起きた津波の規模を基に防潮堤を設置していても事故は防げなかった。
 弁護側の最終弁論骨子の「・情報を収集し、過去に起きた津波の規模を基に防潮堤を設置していても事故は防げなかった」は、原子力発電所の稼働において求められる、前提条件、事業者も認める重大事故は想定しない、それが起こってしまった時には対応が困難であるという事実の理解が欠落しています。原子力発電所は、事故、中でも重大事故を起こしてはいけないのです。繰り返しますが、対応ができないからです。求められるのは、一旦稼働し始めたとしても、絶えずそして不断に、事故対策、事故を起こさない為のあらゆる条件整備が求められるのが、原子力発電所です。なぜなら、絶対に事故を起こしてはならないからです。なのに、最終弁論で「情報を収集し、過去に起きた津波の規模を基に防潮堤を設置していても事故は防げなかった」を、さらっと言葉にしてしまうとすれば、あらゆる意味で、この企業とそこを切り盛りする人たちには稼働する資格は無いことになります。

 そうして起こってしまった、重大事故の事故対策が当然困難を極めることになります。以下それを(1)汚染水問題、(2)除染汚染土壌などの問題、(3)いわゆる廃炉と総称される溶融燃料などに分け、雑誌・新聞の特集をもとに検討します。
(1) 汚染水問題
 東電福島の汚染水問題は、この原子力発電所がその成り立ちにおいて「水」と関係が密接不可分であることによっています。たとえば、その場所が海に隣接しているのは、発電の過程で発生する高熱を冷却・調整するのに水・海水を使うことが不可欠だからです。また発電の基本になる核反応を、必要な温度に制御する為、施設の各所に間断なく水が使われています。使用済み燃料を一旦貯蔵するのも「プール」です。事故で溶融した燃料は、2011年3月以降、格納する容器、圧力容器も一緒に溶けてしまい、溶けた燃料を冷やす為の注水が続けられています。止められないのです。その場合、直接溶けた燃料に注がれた水は、高濃度の汚染水となって流れ出しています。汚染水問題です。 
 新聞(毎日新聞)のこの項のサブタイトルには「処理水処分、根拠確立を目指す」「放射性物質を浄化後に分析」「福島第一原発の汚染水処理の流れ」などとなっています。この場合の「処理水処分」「浄化後」「汚染水処理」と総称される「汚染水」は、それが環境中に放出された放射性物質である限り、あらゆる意味で、処理も処分も浄化もできません。処理した後の放射能の毒は、別の場所で毒として残り続けます。壊れた原子炉の燃料を冷やす為に注入する水に地下水が加わった高濃度汚染水は、セシウム吸着装置でセシウムが除去されます。そのセシウムは吸着塔にためられて満杯になると交換され、高濃度のセシウム塔として保管されます。外形的な形を変えることがあっても、その処理はできません。そうして一旦セシウムが除去された汚染水は多核種除去設備でトリチウム以外の62核種が除去されます。除去された多核種は容器ごと交換、もう一つ別の外形に変わって残りその処理はできません。最後に残ったトリチウムは比較的安全な放射性物質であるということで、薄めて環境中に放出するのは止むを得ないとされてきました。その最終的な方法がいくつか提案され、一般の公聴会を開きそこでも意見を基に放出の最終決定がなされることになっていました。ところが、その公聴会が開催される直前になって、トリチウム汚染水には他の基準を超える核種が含まれていることが判明し、処分方法の議論は一旦白紙に戻されることになりました。新聞(毎日)には、「処分方法の案」として5項目あげられていますが、あくまでもトリチウムのみの汚染水であることを前提に提案されていた「処分方法の案」であって「白紙」です。新聞がこの案を掲載しているのは、この特集記事の取材にあたって相手が東電のみでありかつ東電の都合をそのまま伝えていることを意味します。この事実が発覚した時、とりあえずは東電は謝罪し、処分方法を検討していた担当委員会は、承知していなかったということで、いわゆるトリチウム汚染水は再処理する以外ないと明言していました。いずれにしても、東電福島の重大事故の事故対策で発生する汚染水はその放射性物質の処理・処分は不可能であり、環境中に放出された放射性物質は残り続け、今も増え続けています。
(2)除染した汚染土壌などの問題
 事故で放出された放射性物質は、その原子力発電所を中心に、その時の気象条件によって広い地域に降り注ぎ、すべてのものを汚染します。この放射能の毒は物理的に洗い流したり、いわゆる中和したりできませんから、家屋などの場合はすべて手作業で拭い、土壌などの場合は表土を削り取るよりありませんでした。いわゆる除染です。しかし、その作業に携わった人たちは被曝し、ぬぐった布などや削り取った土壌などは汚染物質になりました。その場合でも、相手は、見えないし、臭わないし、色もない物質ですからすべての作業は完全という訳にはいきませんでした。更に、除染の範囲も限られていました。住宅から20メートルの範囲に限られ、それから先の広く、深い森林などは放置されることになりました。その結果、除染した区域以外の放射性物質は、その時の気象条件・風などによって除染されたとされる地域に自由に飛来することになります。それが放射性物質なのです。なぜ、そうして徒労とも思える除染が選ばれたのか。目的は一つ、汚染され避難した人たち、そして広く世間に、除染によってそこが元のように人の住める場所になり、放射能事故は終息したことを偽装する為です。たとえば避難は放射線量によって次のように分類されています。
・避難解除準備区域 1~20m㏜/年
・居住制限区域 20~50m㏜/年
・帰還困難区域 50m㏜/年
(次週につづく)
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