(前週よりのつづき)
除染は実施されましたが、前述のような理由で、除染による放射線量の低減は達成できませんでした。その為、避難の目安であった、国際基準の1m㏜/年以下を大幅に超える、20m㏜/年を東電福島の避難解除の条件にしました。それさえも超えることを明らかにせず、1回の除染の実施だけで避難解除にしてしまったのが全住民が避難になったいくつかの市町村です。
放射性物質を拭うないし削り取る除染は、そうして拭った布や、削り取った土壌などが新たな汚染物質になります。福島県内だけでその総量は2000万トンと言われていました。危険だから拭った布、削り取った土壌は、どこか別の場所に運び込むことになります。
中間貯蔵施設と呼ばれている場所です。
東電福島の事故対策では、本来はあり得ない言説が弄ばされてきました。除染で発生した汚染物質の中間貯蔵施設もその一つです。降り注いだ放射性物質を除染したのは、それが危険な毒だからです。当然、それは別の貯蔵場所に移さなくてはなりません。そんな場所が果たしてあり得るのか。危険な毒だから取り除いた、その危険な毒が運び込まれたりしたら、そこが危険な場所になります。
当然、そんなことを引き受ける場所はありません。で、考え出された言説が中間貯蔵施設です。そこが最終の置き場所にならないという意味での中間貯蔵です。最終処分場を見つけるないし確保するという「口約束」の中間貯蔵施設です。で、その場所として選ばれたのが、重大事故の東電福島が立地ないし隣接する双葉町及び大熊町です。全町民が避難している町です。放射能の毒が危険だから全町民が避難している町に、危険だから除去した放射能の毒を運び込むのです。現にそれは始まっていて、土壌は241万立方メートルに達しています(前掲、毎日新聞)。
汚染土壌などを処分する場所が見つからない為に、そこは仮の置き場であること決して処分場ではないことの保証・約束として中間貯蔵施設となっていますが、帰還困難区域でもあるまさしくそこを、さらに帰還を難しくする場所にしてしまうのは、どう見ても矛盾しているし、整合性を欠いています。
更にそこには、「特定復興再生拠点区域」を作ることが計画され整備作業が始まっています。「…17年5月に改正福島復興再生特別措置法が成立。同法によって帰還困難区域の一部で避難指示を解除し、居住を可能とする『特定復興再生拠点区域』(復興拠点)を作ることが可能となった。住民が多く集まる地域を除染し、道路や水道といったインフラを整備するとしている」(前掲、毎日新聞)。
東電福島の事故で降り注いだ放射性物質で多くの地域で人が住めなくなり、住民が避難することになりました。「年間の被ばく線量に応じ ▷避難指示解除準備区域 ▷居住制限区域 ▷帰還困難区域―― に再編」です。
そこが居住不可能とされたのは被曝線量が高かったからです。
もし、そこが居住可能となるなら被曝線量が低くなって初めて可能になります。
ところが、まず法改正で帰還困難区域の一部に居住を可能とする区域を作り、その区域を除染して住民が住めるようにする、そんな手順なのです。
全域を避難解除し、除染して住めるようにすればよさそうなものですが、そうはなりません。「各市町村は除染する範囲を拡大したい、区域全体を除染したりするよう要望しているが、国は明確な方針を示していない」。一般に「拠点」というものは、次の展開への最初の一歩だったりしますから、双葉町、大熊町など、全住民が避難している町であれば、「拠点」から次の一歩が示されて当然です。「避難指示を解除し、居住を可能」とする、いわゆる「除染」です。ところが、「国は明確な方針を示していない」、なぜだろうか。
この「なぜ」について考えられそうなこととして、50m㏜/年の帰還困難区域を広く除染することは、その費用・効果から言って極めて困難であること。だったら、その一歩としての「特定復興再生拠点区域」なのは、なぜだろうか。この「なぜ」について考えられそうなことは「時間かせぎ」なのかも知れません。さあ始めるぞとなるこの度の拠点まで8年、それにつながるいつ始まるとも知れない次の一歩までの間に、多くの住民は双葉町、大熊町以外の場所に生活の拠点を移しているはずです。待ってはいられないはずです。避難解除、法改正などで避難していることでの生活支援も打ち切られるとしたら、ますます「帰還しない」を選択する人たちが多くなります。結果、拠点以外の除染を急がない、そもそも必要でなくなります。結果、双葉町、大熊町などの町は町として存在の必然性を持てなくなります。一方で、福島県の「浜通り」と総称される東側の市町村の合併も取りざたされています。そうなれば、双葉町、大熊町などは「名実」共に存在しなくてもよくなります。結果、そこに運び込まれる、2000万トンとも言われている除染土壌などの汚染物質のことも地域限定となり、中間貯蔵施設はそのまま最終処分場となり「一件落着」ということになります。
東電福島の事故 核燃料が溶けその容器も溶けてしまう事故が「重大事故」であるのは、そうして溶けて放射性物質を環境中に放出するのを手をこまねいて見るしかない、どんな事故対策も間に合わないからであり、周辺の全住民が市町村単位で避難しそれが8年も続いてしまうからです。それが、現実に起こっているのが、東電福島の事故です。あらゆる意味で取り返しがつかないのです。
にもかかわらず、後述の「廃炉」と言ってしまい、かつ「除染」による避難解除・帰還を可能とする事故対策が提案され、実行されてきました。たぶん、そして間違いなく、このすべては「虚構」です。事故から8年、前掲の新聞(毎日新聞)の写真・イラスト・タイトルには、そのまま「虚構」の事実を示しているように見えます。環境中に放出されてしまった放射性物質は、どんな意味でも処理不能です。消し去ることはできないのです。いくばくかの処理をしたとしても、その毒は形を変えて(単に入れ物を変えて)残り続けます。その量は、今も増え続けています。止められないからです。「除染」と称し途方もない費用を投じ、すべてが手作業で実施するよりないこの取り組みも、その毒を消し去ることができなくて、単に移動させるだけだとしたら、これもまた「虚構」です。そうして「虚構であったとしても、除染に数兆円の費用が投じられることになったとしても、事業者(東電)はそれをながめる以上の責任が問われる訳ではありません。そのすべては、汚染の為に住めなくなり、避難を余儀なくされた人たちが負うよりありません。住めなくなった大地、失われた大地、失われた生活のすべては、そこで生活していたその人たちが負うよりありませんでした。そこには、多い少ないは別にして、被曝という現実も含まれています。除染という「虚構」は、そのことですべてを「一件落着」にしてしまうことになり、東電福島の事故は一つの「物語」になってしまうという、絶大の効果を持っているのです。
(次週につづく)
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