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2006年01月04週
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 姉が亡くなりました。1歳半年上で、3月には63歳になるところでした。子どもの頃の姉の印象はあまりありません。野山をかけ回って遊ぶ“男の子”の世界と、“女の子”の世界は違っていたからかも知れません。小学校も中学校も多くの場合重なっていました。中学では、姉より1歳半年上の兄と姉のことが、全校集会で話題になった事がありますが、うらやましいとも、うれしいとも思いませんでした。高校も同じで2年間一緒でした。家から高校が遠い為、同じ借家で半年間一緒に自炊生活をし、その後半年間は同じ下宿で世話になりました。
 姉は中学生の頃に精神的に不安定になったことがあります。それだけではなかったのでしょうが、担任の教師とうまくいかなかったことが原因だったらしいこと、父親が同じ学校で教師をしていたことも、繊細な姉にはこたえていたのかも知れません。その後も、精神的に不安定になる自分と、いかに共存するかで悩むことが何度かあったようです。仕事のこと、結婚のこと、育児のこと、地域社会のしきたりとの折り合いの付け方のことなどが負担になり苦しんだりもしました。しかし、多くの場合大好きな花を生けることと、それを教えること、衣服を縫ったりすることと、それを教えること、さらにそのことで自分の表現を楽しんだり、評価もされたりしていました。
 子どもたち小さかった頃のこと、北海道で計画されていた子どもたちのキャンプに、姉の子どもも参加することになって驚いたことがあります。子育てのことでは分かりあえる部分があって、たぶんそんな結果になったのだと思います。
 1昨年3月に母が亡くなった時、母の遺影を選ぶにあたっては、“上半身前向き”という遺影の常識ではなく、数珠を手に横向きに座り込んだ全身のスナップ写真を使うことに、最初に賛成したのも姉でした。母の遺影が置かれる祭壇は姉のデザインで、姉の選んだおびただしい量の花で飾られることになりました。その時に、一本の花の種類、一本の花の傾きも、おろそかにできない姉の、結果的には申し分のない仕上がりに改めて感心することになりました。花が好きだった母に、花の好きな娘(姉)が心を込めて飾った祭壇でした。
 そんな姉でしたが、一緒に過ごすことの多かった弟は、少しばかり気が赦せたのかも知れません。たまに少しばかりの長電話がかかってくることがありました。一緒に過ごすことの多かった弟は、それが姉にできる少しばかりのことだと思ってきました。弟がいそがしくしていることが解っていて、「・・・いそがしいのに、すまないねえ」とかけてくる電話が、30分、長い時に1時間を超えることもありした。そうは言いながら、いいかげんに聞くことを赦さない姉の電話で、聞くことの難しさと、聞くことの大切さを教えられました。(そのワザは残念ながら未熟なままですが)。
 兄弟姉妹は、小さな家族の世界を巣立ってしまう時、当然のこととして別の利害がそこには生まれ、時には互いの利害でぶつかり合うということが起こってしまいます。亡くなった姉との間には利害・主張がぶつかり合うということはあまりありませんでした。少しばかり優しくしてもらったり、少しばかり優しくなれたのは、一緒に過ごした生活の長さによるのかも知れません。もっと言えば、人は自分以外の人に優しくなれるのは、一緒に過ごした生活によってしか培い得ないのではないかと思ったりもします。

 付記:こんなことを書いた翌日、火葬前に開けられた姉の棺に、弟の思いを書いた紙片をすべり込ませました。(中島みゆきが、確かどこかで“・・人よ”で始まる歌を歌っていたような気がする)。

 人よ 届かぬ山となれ
 人よ 待ちわびる花となれ
 人よ 追いかける炎となれ
 人よ 幼子の雲となれ
 人よ 戻らぬ後悔となれ
 人よ 残さぬ永遠となれ

 人よ 悲しみの雲となれ
 人よ 去りゆく波となれ
 人よ 飾りなき夢となれ
 人よ 噛みしめる朝となれ
 人よ 望みみる覚悟となれ
 人よ 語りかける微笑みとなれ

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