先週よりの続き)
パレスチナにイスラエル国家が建国されたのは1948年です。翌1949年の国連総会でウンルワの創設が決まります。国連総会がイスラエルの建国を決めた結果、難民となったパレスチナ人を支援するウンルワの創設を国連が決めたとすれば、それは最低限の見返りであったはずです。「今年2019年で(ウンルワは)創設70周年を迎えるが、創設時に設定された活動期間は3年だった。70年の間、活動期間は3年単位で延長に次ぐ延長を繰り返してきたのだ。つまり、ウンルワの創設時、国連はパレスチナ難民の問題を『3年で解決できる』と考えていたことになる。しかし、70年が経過しても問題は解決されるどころが、むしろ混迷の度合いを深めている」(前掲書)。いずれにせよ、ウンルワの働きによって、難民となっているパレスチナ人たちの毎日の最低限の生活、食料、医療、教育などが可能になってきました。ウンルワの創設にも関わり、最大の支援国であった、米国・トランプ大統領は、2018年1月に拠出金の半分以上を凍結、8月には全面的に打ち切ります。「2017年の実績で言えば、米国の拠出金は3億6000万ドル(1ドル110円換算で396億円)であり、その支援の打ち切りはウンルワの運営に関して大きな・・となった。さらに、ウンルワへの拠出金とは別建ての、パレスチナ自治政府に対する約2億ドルの経済支援も、他の用途に振り替えられることになった」。ちなみに、米国のイスラエルに対する経済支援は、年間軍事支援を中心に約30億ドル(350億円)となっています。そうして、ウンルワの支援によって、生き延びているガザのパレスチナ人たちの状況は前掲の映画「ガザの美容室」のパンフレットの「陸の三方はコンクリート壁で囲まれ『巨大な監獄』と呼ばれる」であったり、「天井のない監獄/ガザの声を聴け」だったりします。たとえばガザが「監獄」と呼ばれるのは、人間としての生きる時の権利、中でも自由が完全に奪われているからです。一般にそうである以前に、ガザの約140万の難民は住んでいた家の「鍵」だけを手に、生活の全てを奪われて追われた人たちです。そのようにして追われ住むことになったガザで、住むべき家も生活を支えるべき仕事も得ることができませんでした。それが「難民」です。そして「難民」であり続けることを拒む闘いを繰り返してきて置かれているのがガザの状況ですが、こんな具合です。
・ガザ全体を囲んでイスラエルによって建設された7メートルのコンクリートの壁。
・繰り返される抗議に対する、イスラエル軍による砲撃、空爆。
・砲撃、空爆によって壊された難民たちの住居、インフラ。
・住居の補修、再建の為の資材の搬入をイスラエルが拒む為、壊れたままの街。
・インフラである、電気・水道施設が壊されたことによる生活の困難。
・人間にとって生活の手段である仕事が成り立たないガザの現状。若年層の失業が60%を超えている。生活を支えているのはウンルワの支援。
・国連の難民の為の食料支援物資は主として穀物(小麦)と油。片寄った食料による肥満や成人病で、それが子どもたちにまで及ぶのがパレスチナ。
・その為の医療施設はガザでは不足していますが、封鎖状況のガザでは、医療器具、医療品が決定的に不足している。
・ガザの仕事であり主要産業は農業、野菜・果物の栽培だったが、砲撃・空爆による灌漑施設の破壊、それらの結果、イスラエルの市場に野菜・果物を出すことが困難になっている。
・若年層に止まらず、「失業」が広い年齢層に及び、働けない人たちの精神的及び家庭の荒廃と、そこに持ち込まれるドラッグ。
そうして、追い詰められたガザのパレスチナ人たちが、7メートルのコンクリートの壁へ向うデモとなって繰り返されています。「3月30日(2018年)から、ガザでは毎週金曜日(イスラム教の安息日)に『帰還の大行進(Great March of Return)』と呼ばれるデモが行われるようになっていた」「このグレートマーチの参加者に多くの死傷者が出ている。デモはガザとイスラエルを隔てる約40メートルに及ぶ境界線のフェンスに沿って複数箇所で行われるが、若い男性の参加者に混じって女性や家族連れもいる。しかし、デモ隊に向ってイスラエル軍が催涙弾や焼夷弾を発砲した結果、わたしのガザ滞在中(2018年5月18日)におこなわれたデモを含め、その時点でグレートマーチによる死者は約120人、負傷者の数は13000人を超えている」「イスラエルにとって国防は最重要課題だ。そのため、国境線のフェンスに近づいてくるパレスチナ人に対して発砲を含む反応を示すことはガザに住むパレスチナ難民なら知らぬはずはないことだ。なのに、デモ隊はフェンスに近づき、発砲による負傷を負ったのだ。あまりにも、痛ましい」(前掲、「天井のない監獄/ガザの声を聴け」)。
そのガザで、前掲書の著者である清田明宏さんに「何がほしいか」と問われた青年は、「仕事をくれ」と答え、もう一つが「人間としての尊厳がほしい」でした。「彼は、そう言ったのだ。『何がほしいか』と問われ、そんな言葉を返す21歳は日本にはいないだろう。しかし、このあと同様の質問をガザの青年だけに向けてみて、わたしは知ることになるのだが、ガザではめずらしくない当然の答えだった。Mさんの言葉は、ガザは2014年の『50日間戦争』のような目に見える戦争だけでなく、つねに“目に見えない戦争”の強圧と恐怖にも人々がさらされていることを証明しているように思えた」(前掲書)。
この著者に託された、ガザの10歳と8歳の子どものお母さんから「日本の人たちに伝えてください」というメッセージが紹介されています。「わたしたちパレスチナ人は、平和を愛する民族です。それを知ってください。わたしたちはただ、尊厳のある暮らしをしたいだけです。殺戮は要りません。そして、子どもたちが平和な社会で安定した生活ができるように、それが、わたしたちの願いです」。
こうして伝えられる尊厳を、清田明宏さんは、パレスチナの若者たちから、到るところで聞かされます。「ガザの若い人たちと話をすると、必ず『尊厳(dignity)』という単語が出てくる。たとえば『いま。いちばんほしいものは?』と聞くと、男女を問わず、仕事があっても失業中でも、ガザの若者たちはいつも『尊厳がほしい』と訴え続けている」「ガザの若者たちは人間としての尊厳に飢えているのだ」「『人間としての尊厳がほしい』という心の叫びのような訴えを聞くたびに、それを言わせる状況に心が痛み、胸が張り裂けそうになる」。
生きて、人間の尊厳を訴え続ける人たちがいます。沖縄島の人たちです。「去年1月29日(2013年)、41市町村長、議会議長、県議会各会派の代表者などが署名して、安部首相に建白書を提出した。この建白書は、『オスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖、撤去、県内移設断念』というオール沖縄の願いをまとめ上げたものである。しかし安部内閣はこの建白書を受け取りながら、これらを全く無視して埋立工事を強行したことは、民主主義の尊厳を踏みにじるものであり到底無視できるものではない。怒りを込めてこの暴挙を糾弾する。沖縄県民は、戦後の米軍占領時代の苦難の歴史の中でも決して屈服せず、基地のない沖縄を目指して闘ってきた。(2014年9月、沖縄県議会意見書)。この「意見書」の後も、参議院選、沖縄県知事選、県民投票、衆議院補選などで、繰り返し県民の多数、民意は、「埋立工事、反対」の意志を示してきました。しかし、その沖縄県民の多数・民意、「沖縄県民の尊厳」を踏みにじり工事は強行されています。「米軍普天間飛行場の移設計画で(注)、政府は10日にも、名護市辺野古沿岸部に新たに造っている護岸『K8』から、土砂の陸揚げを始める」K8護岸は全長515メートルの予定だが、建設海域にサンゴがある。防衛省は移植を申請しているが、県の許可を得られないため、サンゴにかからない約250メートルまで建設し、これを桟橋として使い、船で運んできた土砂を陸揚げする方針だ。防衛省幹部は『移設工事を完了するという政府の意志を示すためだ』と話す」(2019年6月5日、朝日新聞)。
(注)こうして新聞が「米軍普天間飛行場の移設計画」と書く時、そのまま政府の方針の代弁になっている。「普天間飛行場は世界一危険」と認め、公言してはばからないのが日本政府。確かに、宜野湾市のど真ん中にあるから、危険に違いないが何より危険なのは、ほぼ24時間、超低空も含め、訓練飛行が認められている。更に、その飛行場に事故を繰り返すオスプレイの配備に反対する建白書と、その飛行場の撤去、県外移設、辺野古での新米軍基地建設に反対するのが「尊厳を踏みにじる」と書いている意見書。
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