(前週よりのつづき)
飯舘村は、2017年3月末で避難が解除になり、一年間の猶予を経て、2018年4月から、子どもたちも村で再編された学校舎(認定子ども園、小・中学校)に戻れることになりました。
飯舘村の全村避難は、東電福島第一原子力発電所2号機の爆発の時の放射性物質が、当時の風向き気象条件の結果、30キロ離れた飯舘村に降り注ぐことになった結果です。避難は放射線量によって3つに区分されました。
避難解除準備区域 1~20m㏜/年
居住制限区域 20~30ミリ㏜/年
帰還困難区域 50m㏜/年以上
こうした状況で、避難している人たちが元の住居に戻る放射線量に低減する為に実施することになったのが除染です。放射性物質はどんな意味でも、除去したりすることは不可能ですから、実施した除染は、それを手作業で拭ったり削ったりするのですが、完全と言う訳には行きませんでした。しかも、除染の範囲は極めて限定されていました。住宅地などから20メートルの範囲でしたから、飯舘村のように、村の80%が森林の場合、ほとんどが除染範囲外になってしまいます。
6月3,4日、2月にお招きした伊藤延由さんにお会いしました。手渡された伊藤さんが継続的に調べている「文教地放射線環境」報告放射線量と、そこに示されている実際の場所の線量とは一致していました。飯舘村で徹底除染し再開されている、幼・小・中学校などの敷地の放射線量は、ほぼ2~3m㏜/年ですが、たった2~3メートル離れた「未除染」のその場所は1.75μ㏜/時(15m㏜/年)でした。避難解除の為に除染は実施されたものの、人間、中でも子どもたちが生活する場所に戻すことはできていないことになります。(注)
にもかかわらず、飯舘村は避難解除となり、村は、そこに子どもたちが戻って生活することを、積極的に推し進めています。そんな状況で「…ここは子どもの戻る場所ではない!」と押し殺すように話す伊藤延由さんのつぶやきは、強い怒りの声として聞こえてきました。
飯舘村が、村の住宅地、農地などを除染した、汚染物質、土壌などは村の各地に仮置きされ、順次、双葉町、大熊町に用意されている中間貯蔵施設に運び込まれています。しかし多くは村の中心施設、村役場などから離れた場所に残されたままで、表土を削られた農地は、そのままになっています。そもそも、農地というものは表土(除染の場合は5センチ)を削り取られた場合、更にそこに同じ5センチの更土で、覆った場合、当分の間耕作は不可能になります。農業、林業、牧畜で複合的に村づくりを進め、それが若い世代に受け入れられ後継者も育っていた飯舘村にとって、耕作物が見えなくて広がる農地は致命的なはずです。
その飯舘村が現在進めているのが、「までいな暮らしへの誘い/飯舘村で住んでみませんか」という、村外からの移住の誘いです。なんとも矛盾しているのは、もともとそこに生活と未来があって「までい」(「大切に」「丁寧に」「じっくりと」「心をこめて」「時間をかけて」「手間暇を惜しまず」「もったいない」など)を誇りにしていた村の人たちが住めなくなって戻れないのに、その誇りの村に外部の人に移住して欲しいと呼びかけるのは矛盾しているし、本来はあり得ないことです。12ページに及ぶ「飯舘村、移住定住のしおり」の「暮らしサポート・住民へ」のページには、移住の場合の住まいについての「補助」のこと(新築500万円、空き家購入200万円…)が詳しく書かれています。暮らしのサポート「仕事」はしかし、「までい」な暮らしの飯舘は、このしおりからはあまり読みとることはできません。もちろん、耕作が不可能なまま広がる農地の写真などは記載されていません。
そして、何よりこの「しおり」が不誠実なのは、前掲の伊藤延由さんが、そこに住んで、足を運んで見続けてきた、村に降り注いで、今も残り続ける放射性物質のことが具体的に示されないことです。それが全く記載されていないという訳ではありませんが、「しおり」の青い裏表紙に、同じ青い色で一行「放射線のこと…村内100か所以上で、放射線量の測定を継続。主要施設やインターネット上で公開しています」とあります。その「しおり」が置いてあって、村への「移住定住」の説明・受付け(?)をする村役場の担当部署が置かれているその役場敷地の端の放射線量は1.554μ㏜/時(13.6m㏜/年)でした。
26日に予定されている「福島県飯舘村立草野・飯樋・臼石小学校『図工授業協力』報告集会」は、原子力発電所の事故後を生きる人たちの事実について、中でも子どもたちの置かれているほんの一部の現状についての報告になります。
(注)
「年間およそ100m㏜を下回る放射線量において、委員会は、確率的影響の発生の増加は低い確率であり、またバックグランド線量を超えた放射線量の増加に比例すると仮定する。委員会は、このいわゆる直線しきい値なし(LNT)のモデルが、放射線被ばくのリスクを管理する最も良い実用的なアプローチであり、予防原則(UNESCO、2005)にふさわしいと言える」
「計画被ばく状況における公衆被ばくに対しては、限度は実効線量が年1m㏜として表されるべきであると委員会は引き続き勧告する。しかし、ある特別な事情においては、定められた5年間にわたる平均が年1m㏜を越えないという条件付きで、年間の実効線量としてより高い値も許容される。」(以上、「ICRP/2007年勧告」)。
「上記ICRPが重要な情報源としているアメリカ科学アカデミー電離放射線の生物学的影響に関する委員会の2005年報告は次のように述べている」「それら(原爆疫学調査対象――島薗進)の生存者のうち65%が低線量被曝、すなわち、この報告書で定義した『100ミリシーベルトに相当するかそれ以下』の低線量に相当する。対照的にしきい値があることや放射線の健康へよい影響があることを支持する被爆者データはない。他の疫学研究も電離放射線の危険度は線量の関数であることを示している。さらに、小児がんの研究からは、胎児期や幼児期の被曝では低線量においても発ガンがもたらされる可能性があることも分かっている。たとえば『オックスフォード小児がん調査』からは『15歳までの子どもでは発がん率が40%増加する』ことが示されている。これがもたらされるのは、10から20mシーベルトの低線量被曝においてである」(以上、引用は「原発と放射線被ばくの科学と倫理」島薗進、専修大学出版)。
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