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2006年01月05週
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 「仮名手本忠臣蔵」の勉強会をしました。いきさつはこうです。兵庫県立芸術文化センターで、仮名手本(KANADEHON)忠臣蔵の公演があるという話が聞こえてきたこと。それって、ただの忠臣蔵ではないあたりを、“勉強しないと!”という声が上がったものの、それっきりでした。それが、いきなり1月17日の大地震の追悼礼拝がある日の夜に、教会集会室で勉強会をすることが決まりました。当日の勉強会には、大星由良之助役の渡辺徹さん、お園役の和田友紀さん、顔世・下女りん役の森万紀さん、演出の加納幸和さん、ピッコロ劇団の大楽亮さん、山本由利子さんも参加しました。
 で、にわか勉強をすることになった仮名手本忠臣蔵について、橋本治の文章を読み直すことになりました。「考える人」(季刊誌、新潮社)に、橋本治が「浄瑠璃を読もう」を連載し始めたのは、2004年夏号からです。その一番手が仮名手本忠臣蔵で、それだけで連載は4回、2005年春号まで続きました。毎回10ページ近くの連載を読み流す程度に読んでいて、1月17日の勉強会の為、本気で力を入れて読み直しました。結果、浄瑠璃というもの、仮名手本忠臣蔵というもののおもしろさをいろいろあれこれ見直させられることになりました。
 いわゆる“史実”の忠臣蔵と、仮名手本忠臣蔵の違いは、江戸時代の侍社会の「・・・主君の仇を討った赤穂浪士」が、物語の展開はほぼそんな線なんだけど、時代設定を400年前の室町時代に移し、しかし感覚は同じ江戸時代の町人・普通の人の物語に置き換えてしまっていることです。たとえば、主君の仇を討った赤穂浪士は、“史実”の物語だったら“忠義忠臣忠孝”の人たちなのですが、仮名手本忠臣蔵では違っています。「金(かね)で煩(つら)ける算用に。主人の命も買(こう)て取る。二一天作(にいちてんさく)そろ盤の。けたを違(ちが)えぬ白鼠(しろねずみ)。忠義忠臣忠孝の。道は一筋真直(まっすぐ)に打連(うちつれ)、御門に入(いり)にける」(三段目、現代仮名遣い、橋本治、前掲書)。仮名手本忠臣蔵の作者は、“忠義忠臣忠孝”と書きながら、「・・・“忠”の者は、鼠の鳴き声にひっかけてある」「・・・“白鼠”で“チュー・チュー・チューの忠義はすごい」(橋本治、前掲書)ということになるのです。立派に“忠義忠臣忠孝”であったはずのものを、そこから引きずり下ろして、物語の展開は所謂忠臣蔵でも、繰りひろげられるのは江戸時代に大阪の生活者のやりとりに、仮名手本忠臣蔵の作者は作り替えてしまいます。そうして身も蓋もなく描き込まれることになったのが、たとえば“生々しい人間”お軽と勘平です。「・・・“仮名手本忠臣蔵”には、大切な職務中の男の手をとって『しよう』と平気で言ってしまう女が出てくるのである。それに手を取られて平気でついて行ってしまう『自分』が、そこにいるからである。だから、彼らはかくも生々しい。義理も人情もへったくれもなくて、そういうものが存在する社会に生きる人間は、まず『生々しくも人間』なのである」(前掲書)。
 というようなことを、にわか勉強会のため読み直して、勉強会の当日、3人の役者さんの話、演出の加納幸和さんの話を聞いて、仮名手本忠臣蔵の面白さを、改めて納得することになりました。3人の役者さんも、演出の加納さんも、“・・・この芝居のどの登場人物も大切”と異口同音に口にしていました。“KANADEHON忠臣蔵”の3人の役者が、演じる大星由良之助も、お園も、顔世・下女りんも、それぞれに“生々しい”し“生々しくも人間”であるのがとっても魅力なのです。立派であるとかすばらしいとかではなくって、人が人として生きていること(時には無残に死んでしまうこと)が、決して無意味ではないこと、生き生きとしていることが、役者としてそれを演ずる喜びなんだ、と言っているように聞こえました。

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