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2019年10月04週
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東電福島の重大事故で、2度の検察審査会の議を経て、強制起訴となった事件の3人の被告は、2019年9月19日の東京地裁の判決で「いずれも無罪」となりました。
 福島を中心に広く東北、日本ひいては世界を放射性物質で汚染することになったのが、東電福島の事故、事件です。事故から8年、今も5万人を超える人たちが汚染された村や町が被曝の危険で「帰還困難区域」となったままで帰ることができません。放射性物質で汚染された環境・自然の一部を削り取る「除染」は、処理不能の汚染物質を、上記の帰還困難区域に「中間貯蔵施設」の名のもとに設けられた土地、施設に運び込まれています。福島で実施されている県民健康調査の結果、通常のおよそ60倍の子どもたちに甲状腺がんが発見されているにもかかわらず、事故との因果関係が「立証されていない」とされ続け、根本的な対策が取られないままです。事故現場で今も放出が続いている放射性物質は、一部は「除去」という名のものとにそれが「コントロール」されているとしていますが、除去された放射性物質は東電福島の敷地内に仮置きされています。一方、除去が困難なトリチウムは、およそ1000万トンに達し、その処理として「水に薄めて海洋に放出する」のが「現実的」だとうそぶき続けています。それら一つ一つの東電福島の重大事故の、事故責任、中でも、放射能事故という、事故対応が困難な状況で「傷害」「死亡」の責任、東電の最高責任者3人の「業務上過失致死傷事件」が、刑事告訴裁判でしたが、判決は「被告人らは、いずれも無罪」となりました。被告・東電・国の主張をほぼなぞるだけの判決を不服として、指定弁護人は直ちに東京高裁に控訴しています。
 以下、被告人の主張を「なぞるだけ」の内容の判決、及び司法が依って立つべき本来の立場をその根本に於いて逸脱していることを、手元の「判決要旨」をもとに考察することにします。
 まず、「司法が立つべき本来の立場」なのですが、何よりも求められるのは、客観的・科学的根拠を示し、真実・事実を尊重することであり、そこからの逸脱は、司法の信頼、根幹をゆるがすことになります。そして、当然その結果の判決には、情況や恣意的な判断が持ち込まれてはならないはずです。この国、日本で裁判の判決の極刑は「死刑」です。被告人のあらゆる意味での生存の可能性を否定し奪う判決・死刑は、たとえ国家の定める司法を司る裁判官であっても本来は困難、不可能であるのは、結果的にはそしてしょせんは人間が人間を裁くのが司法・裁判であるからです。どんな意味でも定義のしにくい人間が、同じように定義をしにくい人間を裁くのだとすれば、それは根本的に不完全であらざるを得なくなります。その意味で、人間が人間を裁くことにおいてあり得る最高の刑は、「無期懲役」であって、見方、理解の処方によっては「死刑」以上の解りにくい存在としての人間を了解・認識すれば、そうならざるを得なくなります。その場合も、真実・事実を尊重すること及び客観的・科学的であることを、いかなる意味でも軽んじられてはならないのはもちろんです。古代社会において、(たとえば旧約聖書サムエル記の場合)、上に立って判断する人間、それが「王」だったりする場合、それを選ぶのを神にゆだね、ゆだねられた人間が王として振る舞う場合も、神の声に聞くことは絶対でした。いかなる意味でも恣意的な判断・理解を避けることであり、今日的な意味では徹底的に真実・事実に依拠し、客観的・科学的であることに於いてゆずらないことを意味します。
 東電福島の事故、事件の東京地裁判決は、判決要旨を読む限り、そのことに於いて逸脱しているように読めます。この刑事告訴裁判で争われたのは、東電・国が事故・事件を逸早く「想定外」とし、事故に対する責任ある態度表明を一切しなかったことに対してであり、裁判ではそのことの「予見可能性」ということで争われました。「過失により人を死傷させたとする業務上過失致死傷罪が成立するためには、人の死傷の結果の回避に向けた注意義務、すなわち結果回避義務を課す前提として、人の死傷の結果及びその結果に到る因果の基本的部分について予見可能性があったと合理的な疑いを超えて認められることが必要である」。
 刑事告発の「被告」となっている、東電・国は、事故・事件発生直後から、想定外として事故・事件責任を回避し続けてきましたが、裁判の過程で問題になったのが「平成14年7月」に地震本部によって公表されていた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」について、いわゆる「長期評価」です。 
 判決文は、「長期評価」をめぐる東電土木グループなどの意見を次のように記しています。
「土木グループは、本件発電所の耐震バックチェックの審査を行う作業部会の委員を務める専門家の見解を踏まえ、『長期評価』の結果を耐震バックチェックの津波評価に取り入れざるを得ないとして、取り入れた場合の影響を把握するために東電設計に本件発電所の津波水位計算を委託し、明治三陸地震の波源モデルを海溝寄り領域に設定したパラメータスタディにより、平成20年3月には最高津波水位が敷地南側でO.P.+約15.7m、翌4月には敷地を囲う鉛直壁を設置した場合の最大津波高さがO.P.+約19.9mという計算結果を伝えられ、大規模工事を行う場合、対外的な説明性の観点(原子炉を運転しながら工事を行うことを対外的に公表して説明し理解を得るのは容易ではないという観点)から原子炉の運転停止に追い込まれる可能性があることを認識しつつ、関係グループとの間で必要となる設備対策についての打ち合わせを重ねるなどしていた。その一方で、耐震バックチェックに関しては、津波に対する安全性については解析・評価を行っているところであり、最終報告において結果を示す予定であるとして、平成20年3月に中間報告書を提出した」。
 要するに、これは「長期評価」によれば、東電福島の「10m壁」を超える津波は起こり得ることを、事故前から東電自体も認めていたことを意味します。
裁判・判決要旨はこの事実を踏まえながら、なぜ東電がその為の可能な対策・対応をしなかったかについて、ほぼ東電・国の側に立ってそれを「論証」無罪とします。それがたとえば以下のような東電側の見解になります。「被告人武黒は、被告人武藤及び担当部長から『長期評価』の見解に基づく本件発電所の最高水位がO.P.+15.7mとなるが、『長期評価』の見解では、具体的な根拠を示しておらず、地震本部自らも信頼度をCに分類しており、中央防災会議も採用していなかった」。結果、「長期評価」は採用されず、従来通りの安全対策の枠内で、東電福島の稼働は続けられることになります。
(次週につづく)

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