(前週のつづき)
「死刑制度」について、国が実施している世論調査によれと、「『死刑もやむを得ない』と容認する割合は80.8%で、前回より0.5ポイント増え、4回連続で8割を超えた」「調査結果によると、死刑容認の理由(複数回答)は、『被害者や家族の気持ちがおさまらない』(56.6%)、『凶悪犯罪は命をもって償うべき』(53.6%)の順に多かった」などと報告されています(1月18日、朝日新聞)。回答の「被害者や家族の気持ちがおさまらない」などは、記述式と言うよりは、複数回答から選ぶことになっていて、たとえばいくばくかは複雑な思いがあってとしても、比較的単純に前記の理由を選んだのだと考えられます。ただ、こうして選ばれた回答の理由だとすると、起こった事件や、事件の中味、加害者とされる人物の犯行の動機、時にはその加害者が「何者であるのか」などに及んで、深く洞察するということは、ほぼなされないまま、並べられた複数の回答から〇×式で選ぶ結果の「理由」であるように思えます。
たとえば、複数の回答例の中に「罪を起こした者のいのちを奪う死刑の執行は、根源的に罪悪を抱えた人間の闇を自ら問うことなく、他者を排除することで解決とみなす行為であり賛成できない」あるいは「死刑制度は、罪を起こしたその人がその罪に向き合い償う機会そのものをも奪います。また、私たちの社会が罪を犯した人の立ち直りを助けている責任を放棄し、共に生きる世界を損なうものであり賛成できない」あるいは「たとえ最も悪い罪・殺人を犯してしまったとしても、その人の尊厳は失われません。誰も、その人のいのちを奪い、傷つけ苦しめてしまった共同体に再び受け入れられる機会を取り去ることはできないから賛成できない」などが示されていたとしたら、面倒であったとしても自らもそうである、人間という存在についての思考を少なからずはせざるを得なくなるように思えます。しかしそれが「被害者や家族の気持ちがおさまらない」「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」だけだったりすると、ほぼ何一つ思考しなくて済ますことになってしまいます。
犯罪が幼い子どもたちの世界に及んだり、たくさんの人たちの命を一気に奪ったり、思いもかけない仕方で起こり続ける会であってみれば、「立ち止まり、じっくりと見つめ、じっくり考える」ことを怠らなければ、「被害者や家族の気持ちがおさまらない」はあり得るとしても、自分で当事者に確かめたのではない理由ではなく、別の何かを生み出し実らせる考えや姿勢が生み出されなくはないはずです。
大きな話題になっていたもう一人が、中村哲さんです。中村哲さんが、医療、難民の幅広い生活再建・支援の活動をしていて殺害されたアフガニスタンで、その医療を困難にし、たくさんの難民が生まれることになったのは、アフガニスタンの人たちが「大破局」と呼んだ1979年のソ連軍の侵攻であり、たくさんの人たちの生存をおびやかし、徹底的に生活を破壊しました。その大破局のアフガニスタンでの中村哲さんの働きが始まったのは、1984年からでした。「医療が足りない」「施設・設備が根本的に足りない」アフガニスタンで、それをより一層困難にしていたのが戦争でした。「私が赴任した1984年当時、アフガニスタン戦争の真っ只中。1979年12月、当時世界最強との陸軍と呼ばれたソ連軍の機銃部隊は10万人が大挙してアフガニスタンに入ってきました。アフガニスタンを解放するという名目でしたけれど、これによってアフガニスタンでは内戦状態になりまして、このアフガン戦争で死亡した者は約200万名。200万と言うと、第二次大戦で死亡した日本の兵士の数に等しいわけですね。しかも死者の3分の1は非戦闘員子供女性老人で、アフガニスタンの国民の約10人に1人が死亡したことになる。さらにその上、約600万人が難民となって国外に流出する」(「絶望から希望へ――生命に寄りそって――」2004年1月19日、大地震から9年のセミナー)。そうして始まったアフガニスタンでの困難を極める活動を中村哲さんは「運命」と言っていました。「練馬の会(2009年9月)での質疑のとき『なぜいまの仕事 に?』と青年に問われ、すこし考えてから『やはり、運命、さだめのようなものを感じます』と医師は答えた。多くの人との縁が、かねてから約束されていたかのように、中村医師を人生の各章へいざない、支え、生きのびさせてきた。恵まれた人生と中村医師は言う。苦労をみせぬごく自然体の人に、私は『巨きな人』を見た」(「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る/アフガンとの約束」、中村哲/聞き手・澤地久枝、岩波書店)。
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