ひとの最初に出会う本、それは絵本です
「瀬田貞二、子ども本評論/絵本論」(福音館書店)の冒頭に置かれている言葉が「ひとの最初に出会う本、それは絵本です。最初に出会う、とは何でしょう。またそれにどんな意味があるのでしょう」です。瀬田貞二には別に「子どもの本評論集」「落穂ひろい」の同じように大部の子どもの本、絵本について書いたものがありますが、そのすべては「ひとの最初に出会う本、それは絵本です。最初に出会う、とは何でしょう。またそれにどんな意味あるのでしょう」を語り伝える為に大げさではなく全力を尽くしておしまないのです。ひと、その場合のひとはもちろん子どもなのですが、瀬田貞二にとっての子どもは「直裁無比の感応力」をもって生きる「ひと」です。
その「ひととしての子ども」について書いています。「幼い子どもたちは、成長することを仕事にしています。のびのびと成長していく本能にかられて、動きたい、休みたい、愛したい、成しとげたいという、体いっぱいの意欲にふくらんでいます。そして本能的な意欲は、楽しみたいという欲求の形になってほとばしります。心身が火だるまのようになって遊ぶことは、その一つのあらわれです。そして、お母さんの読んでくれる物語に耳をかたむけながら、くりひろげられる美しいリズムのある絵に見いること、つまり絵本を『読む』ことも、その一つです」「だから幼い子たちが絵本のなかに求めているものは、自分を成長させるものを、楽しみのうちにあくなく摂取していくことです」。
それが「直裁無比な感応力」をもって生きる子どもたちの本、絵本です。「…文章の素晴らしさが、じゅうぶんすきのない可視的な一つの世界を表現し、その絵の素晴らしさがその世界を百倍も千倍も生き生きとくみあげて、ここに完璧な魅力のある絵本が、一体として、子どもたちの眼前におかれるのです」。
ひととしての子どもが「直裁無比な感応力」で、この世界で生きているのであってみれば、「完璧な魅力のある絵本」と瀬田貞二が絵本を定義するのは、決して大げさではなく、それこそが子どもたちに絵本を準備する大人の役割であり、果たすべき責任です。
「瀬田貞二、子どもの本評論/絵本論」の後半は、別に単行本にもなっていた「十二人の絵本作家たち――追考二篇」が収められています。その人と絵本が考察されている、12人と2人は、子どもの絵本の世界の「代表格」である、ビアトリクス・ポターやバージニア・リー・バートンやモーリス・センダックとは違う、少なからず個性的ではありますが、やはり「完璧な魅力のある絵本」を子どもたちの世界に送り出した人たちです。中には、断片的な「絵」しか残されていないとしても、瀬田貞二はそうした人たち自身の持っている「魅力」を心から愛し、評価しています。12人と2人は以下のような人たちです。
ウィリアム・ニコルソン
エズラ・ジャック・キーツ
マーガレット・ワイス・ブラウン
初山滋
ブーテ・ド・モンベル
マージョリー・フラック
ブルーノ・ムナリ
小山内龍
村山知義
ベール・カストール
エドワード・アーディゾーニ
椛島勝一
画人・横井弘三
茂田井武の世界
2019年度に卒園する子どもたちから、卒園の記念にいただいたものをもとに、こうした絵本作家の絵本を公同文庫の蔵書に加えさせていただきます。現在、購入の準備を進めているのは「どんどん」(片山健)、「みみずのオッサン」(長新太)、「つえつきばあさん」(スズキコージ)、「でんしゃのえほん」(井上洋介)、「うちゅうたまご」(荒井良二)などで、瀬田貞二の再話、翻訳などの絵本は、ある程度まとめて公同文庫の蔵書になります。
この文章をまとめるにあたり、別に参考になったのは「こどもとしょかん/№151、152」「母の友/2019.9」「絵本の子どもたち/14人の絵本作家」(寺村摩耶子)などです。
お母さん
お母さんが
教えてくれたのは
朝焼けと夕焼けの
色が違うこと
闇には
終りがあること
心を開くのは
傷つきやすいこと
笑いは
もう一つの笑いを生むこと
世界は
小さいものが支えている
お父さん
お父さんが
教えてくれたのは
汗を流すのを
いとわないこと
強いものに
負けないで生きること
真実を伝える
古い物語のあること
他者(ひと)を
欺かないこと
世界は
小さいものが支えている
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