日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2020年04月02週
height=1
(前週よりのつづき)
 汚染水の処理について、最近の「公共放送」は、「政府が最終方針として海洋放出と決定するだろう」と、報道していました。汚染水の処理が、100万トンを超えてもままならなかったのは、それが処理不能の放射性物質であるからです。汚染水は、セシウム、多核種と2段階で処理されていますが、それらのかなりの部分は一旦除去されたとしても、除去されたとされる、セシウム、多核種などの「毒」はそのまま、東電敷地内の別の場所で仮置きされています。この2つの段階を経ても、処理不能で残ってしまっているのが、「希釈して海洋放出」が国によって決められようとしているいわゆる「汚染水問題」です。前述のように、東電福島の重大事故によって、環境中に放出された放射性物質・汚染物質は、いわゆる汚染水の問題だけではありません。同じように、そして何一つ解決の方法の見つからないのが、仮置きされ、やはり増え続けている、セシウム、多核種の問題です。こっちの方は、単に除去して仮置きされているに過ぎないのに、ほとんど問題になっていない、あるいは問題にしないことになっています。もし、東電福島が「廃炉」と言うなら、これらの処理も含め、すべてが処理されることによって初めて、「廃炉」と言い得るはずです。しかし、処理不能のものを抱え込んで、更に増やし続けているのに、「廃炉」と言ってしまえるのが、東電福島の事故対策です。原子力発電所たるものの稼働、そして今回のように重大事故が起こってしまった時の対策も、どんな意味でも、短期間ではもちろん、一人の人間の一生をかけても最終処理が難しかったりするのは、環境中に放出された放射性物質は、処理が難しいからです。人間が作り出したものであるにもかかわらず、人間の手では処理不能なのです。
 今、問題になっている、2つの処理段階を経た後の汚染水(トリチウム汚染水と言われてきた)も、処理不能であるのは同様です。もっと難しいのは、その汚染水、トリチウムを除去(分離)する方法は見つかっていないし、見つからないだろうことです。しかし、「廃炉」は汚染水の場合はその処理が条件ですから、処理できない限りは溜め続けるしかありません。そうして溜め続けて、増え続ける汚染水の保管を、事故の当事者である東電は敷地内にためてきました。処理できないし、増え続けてだからためてきたのですから、更なる保管場所の確保も当然必要になります。しかし、早い段階から東電は、保管し続ける、保管場所の確保が難しいことを、ほのめかしてきました。そして、気が付いてみたら保管ではなく、具体的な処理案が浮上してきました。地中に埋める(穴を掘ってそのままたらし込む)、空気中に蒸発させる(環境中に拡散させる)、薄めて海洋に放出する(環境中中でも海洋に拡散させる)などです。いずれも、放射性物質の毒はそのままです。 
 要するに、気が付かなくてはならないのは、この場合の人間は、自らに作り出しておいて、それは、自らは処理できないものであるということ、しかも「毒」であるという事実です。そのことでは、事故の当事者である東電、原子力発電所を稼働させている当事者である東電は、「安全」であることを前提にその事業を実施していたのであるとすれば、放出はもちろん「薄めて放出」などと言ってしまうとすれば、稼働の資格がないのはもちろんです。「安全でない」なら、原子力発電所を稼働するそのことそのものが成り立たなくなるからです。
 しかし、ここに来て「大幅希釈して海洋放出/1リットル当たり1500ベクレル未満/基準より厳格化」と公然と言い出したのは、処理について、国・政府が前面に出て、「海洋放出」を決める権限があるかのようになっているからです。
 しかし、毒を環境中に放出するか否かは、誰であれ権限の問題ではなく、それが人間を含めた生き物にとって、妥当であるか否かであるはずです。その場合に、何よりも根拠にならなくてはならないのは、人間の英知が、その時に到達している科学の名において、そのことの説得力のある根拠をもって示すことが何よりの前提です。今までのところ、科学者が、科学の名において、このことでの見解、あるいは薄めて環境中・海洋に放出するのが妥当であるとする見解を述べているのは寡聞にして知りません。その一番の勧進の部分を抜きにして、生きものとその生態系に処理不能だから薄めて海洋に放出することの決定権は国・政府にあるとされて、進められようとしています。
 決めるのは、政治ではなく科学です。
 もう一つ、事故対策の「廃炉」の要とされるのが、燃料及び、圧力容器などの溶融で発生したとされる「デブリ」問題です。
 このいわゆるデブリ問題については、前掲の福島の地元の新聞の、3月11日、3月17日、3月22日、3月27日、3月28日などで言及されています。

 例えば、東電はデブリ問題で「廃炉中長期プラン」を新たに公表しています。「東京電力が27日に公表した『廃炉中長期実行プラン』には、葉色の最難関とされる溶融核燃料(デブリ)の大規模取り出しに向けた設備建設のため、原子炉建屋近くにある2つの排気筒を撤去する計画を盛り込んだ」。しかし、このプランが単なる願望でしかないのは、言われている「実行」なるものの「デブリ大規模取り出し」は、その前段階の更に前段階にも達していないからです。実行プランの「排気筒撤去盛り込む」の排気筒は、以下のような状況にあります。「現在、解体中の1、2号機共同排気筒は大規模地震による倒壊リスクを下げるために高さ120メートルの半分を切断する予定だったが、下半分も完全撤去する方針に切り替えた。作業開始は、2023年度(令和5年度)としている」「3、4号機共同排気筒についても、同様に解体し、空いた敷地を活動してデブリ取り出し設備などを設ける。2022年度に開始し、早ければ同年度内に完了させる」「デブリ取り出しについては、2021年を予定している2号機の次に、使用済み核燃料の取り出し作業が進んでいる3号機で2031年開始を目標に検査を進めるとした」「デブリ取り出しに向けた原子炉格納容器の内部調査は、1号機で2020年度後半、3号機で2023年度以降の実施を計画している」(以上、3月28日、福島民報)。こうして明らかにされている「中長期実行プラン」の「実行」は、どう見ても、「デブリ大規模取り出し」からほど遠いのは明らかです。と言うのは、危険とされている1、2号機の上半分の直接の切断工事も、その切断機器準備も困難を極めました。何よりも、難しくしたのは、強い放射性物質で、対応、対策にもかかわらず、放射性物質の飛散、作業員の被ばくは避けられませんでした。下半分が残されているのも、強い放射性物質がその切断作業を困難にしているからです。「デブリ取り出し設備などを設ける」ための2号機の共同排気筒の解体も、作業に取り掛かるとされるのは、2022年度です。そして、デブリ取り出し設備などを設けたとしても、そのデブリは、形状、放射線量などの調査もほとんど全く進んでいません。1号機の場合は、「デブリ調査に投入予定のロボット」を投入出来たとしても、「高放射線量が障害」で、調査らしきものはほとんど手付かずです。2号機の場合「デブリとみられる堆積物」に、ロボットが「接触」していますが、それが何であるかも解かっていません。その程度でしかないのは、高い放射線量がそれを拒むからです。3号機の場合は、ロボットで「デブリの可能性が高い物質を確認」し、「2番目の取り出し開始を検討」していますが、高い放射線量がそれ以上のことを拒んでいます。
 東電福島で言われている「廃炉」は、東電によって、「中長期実行プラン」が公表されたりしていますが、実行されているのは、調査のためのロボットの開発段階で止まっています。
 燃料、施設(圧力容器、格納容器)まで、溶融させることになった東電福島の重大事故は、以上のように「廃炉」はあり得ないのです。おびただしい人たちの終わることのない緊急の事故対策に追われる、終わりのないほとんど半永久的な事故対策が続くのが現実です。

height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


?????width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.