感染症と向かい合う人間のありようが「戦争」「闘う」だったのが、共同・共生へと舵が切り替えられるようになってきました。人間社会が、その社会の広がりの歴史そのものであり、その時に生きるために、取り込んできた「家畜」などから感染症が持ち込まれてきたのであれば、「戦争」「闘う」は、自ら不定することになりかねませんから、共同・共生こそがより充実に近いはずです。
目下、現在猛威を振るっているとされる感染症をめぐる諸説から目に付く範囲での表現で拾い出してみました。
休校はチャンスだぞ
五味(ごみ)太郎(たろう)(絵本作家)
―急に学校が占められて先の見通しも立たず、大人も子どもも不安定になっていると感じます。
それじゃ、逆に聞くけど、コロナの前は安定してた?居心地はよかった?
普段から感じてる不安が、コロン問題に移行しているだけじゃないかな。こういう時、いつも「早く元気に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあその元は充実してたの?と問うてみたい。
子どもに失礼
おれはもともと、今の学校や社会は、子どもに失礼だと思ってる。
(2020年4月14日 朝日新聞より)
多事奏論
吉岡(よしおか)桂子(けいこ)(朝日新聞編集委員)
真実をのぞく「窓」として愛された日記の作者が、中国のネット上で激しく攻撃されている。 「売国奴」―。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて封鎖されていた武漢市で暮らす作家、方方さんに対して、そんな言葉が飛び交う。
やり切れず鬱々している時、北京に住む作家、閻連科さんとメールでやりとりする機会があった。「炸裂志」「愉楽」など話題作を連発し、日本にもファンは多い。タブーを嫌う姿勢から、中国では出版できない作品も少なくない。
「マスクは足りていますか」
日常を取り戻しつつある北京からあたたかな心遣いとあわせて、こう書いていた。
「(自分も)人々から絶え間なくののしられている。新しいウイルスが中国の人々の心をここまで引き裂いているとは想像を超えていた」。多くを語らないが、方さんに対する攻撃の背景と無縁ではなかろう。
閻さんも、コロナ禍の中で、自らの言葉を投げかけてきた。「この厄災を記憶する人であれ」という題目で、教鞭をとる香港科技大学の学生らに向けて2月下旬、北京からオンライン講義を行った。文章の創作を学ぶ若者らが対象で、中国人の学生も少なくない。方さんに触れて「存在と記録」をたたえながら、呼びかけていた。
「新型コロナとの戦争に勝利したと、国家がドラや太鼓を鳴らし、大騒ぎを始めるとき、そんな空っぽな歌を一緒に歌うような物書きでなく、自らの記憶を持ち偽りのない人間でいてほしい」
(2020年4月24日 朝日新聞より)
人文知を軽んじた失政
藤原(ふじはら)辰史(たつし)(京都大学人文科学研究所准教授)
これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。
だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。
危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない。
(2020年4月26日 朝日新聞より)
パンデミックを生きる指針 ―歴史研究のアプローチ
藤原(ふじはら)辰史(たつし)
武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうか [の] 基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」と喝破した。
(次週に続く)
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