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小さな手大きな手

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2020年06月03週
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東京電力福島第一原子力発電所における重大事故:炉心溶融事故にともなって実施されてきた事故対策「多核種除去設備等処理水の取扱い」即ち一般に言われている「東京電力福島第一原発で増え続ける放射性トリチウムを含んだ処理水の処分」について感想及び希望すること。

 以下の感想及び希望をまとめるにあたっては、2011年3月11日のあの事故後、いわゆる「専門家」としてではなく、普通に生活している感覚で、事故後のほぼすべての成り行きで、ほぼ必ずその都度に「感想及び希望」を述べることを欠かさなかったことが元になっています。近いところでは、5月12日、5月13日、5月14日、5月19日の「トリチウムを含んだ処理水の処分」の福島民報の記事、「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会・報告書」(以下、報告書と略)に目を通した上で述べさせていただいております。

1、「トリチウムを含んだ処理水の処分」は、いくつかの方法を併記していますが、普通にいわゆる「消去法」によれば「海洋放出」以外考えられないことになっており、関係者によって繰り返し「現実的」などの言葉によって示唆されてもいます。「報告書」を構成する項目も、読ませていただく限り、ほぼ「海洋放出」に結びつくように書かれ、かつまとめられています。
2、その場合、海洋放出即ち放射性物質を環境中に放出する場合、その物質「トリチウムを含んだ処理水の処分」が十分に安全であることが立証されていなくてはならないのは当然です。
この点については、トリチウムの科学的性質、放射線及びトリチウムの生体影響、そして既に、トリチウムが世界・日本で環境中に放出されている現状から、東電福島の「トリチウムを含んだ処理水の処分」(海洋放出)に、前例があることから、安全が担保されるとしています。
しかしながら、この「安全」の保証は、海洋放出するのは「トリチウム」に特化しているといわれていたにもかかわらず、一部多核種が除去されずに残っていることが明らかになり、2018年時点での海洋放出は振り出しに戻ることになりました。
今回、改めて海洋放出の為に「希釈を行う前に二次処理」を行う目途が立ったこと(現時点で二次処理は行われていない)をもとに、もとづいているとされます。
3、結果、「安全」であるとされ「報告書」をもとに各地で説明会が開催されていますが、「慎重な検討を求め、放出反対意見、理解を示す声も上がった」(3月10日、広野町)だったりするのは「報告書」が必ずしもその安全を科学的に立証した内容になっていないからだと考えられます。あるいは、科学であることを本来の意味と、そのことにもとづいた「安全」の立証をおこたっているからです。というか、東電福島の重大事故は、科学が本来なすべき仕事をおこたった結果としての「事実」であるにもかかわらず、当事者は、その「事故の事実」を想定外としていることに、その態度のすべてが示されています。原子力発電所が稼働され、それが重大事故になった時の事態が想定される時、(東電も、それを推進してきた「科学者」たちも想定できないことを知っていた)、なすべきだったのは、起こり得るすべてを、その科学的知見を動員して準備するべきだったのです。難しいことではありません。「どんな巨大な出来事であろうとも小さな理解の積み重ねによって生じえないことはない」(*注1)という、単純な見方こそが、科学を科学たらしめるのですから。
4、たとえば、ことここに至っても「報告書」に欠けているのは、「報告書」をまとめた人たち以外に、異なった科学的研究とその成果をもとに研究結果が公表されているかも知れないという事実に一切目を向けることをしない態度です。それは、「報告書」16ページの「放射線の生体影響」を述べるにあたって「低線量被曝」に関しては、何一つ言及しないなどのことからも明らかです。「安全」は、安全を主張することによっては担保されないのです。
5、この「安全」についての理解は「報告書」が「注意すべきは、安全であることは安心できることと同義ではなく」の言葉に示されています。安心できない、不安という心理は「安全」をおびやかすということになります。この論理が不完全なのは、言うところの「安全」が、もしそうであるなら、前掲の「どんな巨大な出来事であろうとも小さな理解の積み重ねによって生じえないことがない」というたとえ異なっていたとしても「小さな理解」に耳を傾け、かつそれを「報告書」で取り上げ、その上で、広く一般の理解をうながし、その結果の声に耳を傾けることです。
6、そうだとすれば、大量に環境中に放出され、それが降り注いだ結果の被害を受けている人たちのその「事実」のうったえを、「それは私たちのものではありません」「無所有」などという裁判所の決定をうながすような、重大事故の当事者の立場、見解も生まれるはずはありません。
7、「安全」を自らゆるがせにしているのが、このように重大事故の当事者の東京電力であるとすれば、「トリチウムを含んだ処理水の処分」を何よりもその当事者が難しくしていると言わざるを得なくなります。
8、もし、科学を根拠に、小委員会諸氏が、報告書としてまとめているのであれば、その科学をゆるがない科学であらしめる為に、異なった科学的見解を示し、それに科学的に反論する報告書としてまとめられることを、強く希望します。
9、「トリチウム処理水の処分」の道は一つしかありません。タンクの増設です。東電敷地内に増設場所が得られないなら、当事者の東電のように「2022年度に限界を迎えると主張」するのではなく、かつて、原子力発電所の建設に、手段を選ばなかったように、表・裏のすべての手段を駆使して、周辺自治体に増設場所の提供を求めることです。でも、このやり方はよくないと思う。トリチウム処理水が「安全」であること、その反対のいずれも科学的な知見を、判断材料として提供することが、何よりも優先します。*注2

*注1「ミミズと土」(チャールズ・ダーウィン、平凡社ライブラリー)
*注2 沖縄辺野古では、県民の民意を踏みにじり、手段を選ばず新米軍基地の建設が進められています。このやり方は、大変よくないと思う。

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