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2020年11月01週
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(前週よりのつづき)
 エンドステートは、「概念」によれば、「…放射線管理から解放後、サイトを新たな利用を目指すゴール」であるとすれば「更地」ということになります。と言いながら、「公開にあたって」は、一般的に「最終的な状態(エンドステートといいます)をあらかじめ設定することが国際的にも重要」とした上で、1Fの場合「事故後9年が過ぎ、いよいよデブリ取り出し作業が開始されようとしている同発電所廃炉の課題として、あらかじめエンドステートの概念を関係者と共有した上で」と続きます。
 エンドステートは、「概念」で示すように、「更地」であるとすれば、1Fに限らず、どこのどんな施設のどんな状況であっても「更地」以外のなにものでもありません。しかし、ここでほのめかされているのは、こうしたいわゆる「更地」ではなく、もう一つ別の「更地」の定義が検討されているように読めます。まさしくそうで、前掲・先述のように一般に原子力発電所を廃炉にした場合の「更地」(そもそもそれもほぼあり得ない)ではなく、一般と1Fを2つの言葉・概念で区分けします。一つは「本報告書では、通常の原子力発電所には『廃止措置』という言葉を当て、1Fのような事故炉には『廃炉』と言う言葉を当てる」。理由も、前掲・先述の通りです。「1Fは特定原子力施設に指定され、通常炉と同様の手順をとることが必須の条件とはなっていない」「このように、残存燃料及びデブリを取り扱うことは、作業は事前に認可された実施計画に沿って実施される点が通常炉との大きな違いである。これらを考慮して1F施設の除染・解体を通常炉の廃止措置と区分して『廃炉』と記述する」。
 こうして、本来は「更地」にするエンドステートの概念を、通常を「廃止措置」、1Fを「廃炉」としてしまえば、後者の概念は「なんでもあり」、逆に言えば「どうしうもない」まですべて当てはまることになります。これも、前掲・先述のように、その例が「シナリオ4」(中間報告P24)の「部分撤去・安全貯蔵」だって可能ということになります。たとえば「廃炉方式:遅延解体(安全貯蔵)」もいいことになれば、施設はいつまで経っても「更地」にならないとしても「可」となり、それが「安全貯蔵」でいいなら、要するに半永久的に「安全」貯蔵状態もあり得ることになりますから、当然、半永久的にそこは更地になったりはしないことにもなります。別の言い方をすると、より事実に近い言い方をすれば、「廃炉」と定義された1Fは、放射性物質の完全な管理ができないまま、半永久的に事故の状態のままになることを意味します。
 要するに、日本原子力学会及び同廃棄物検討分科会が「学会」の名において研究・検討したのは、1Fの事故処理は不可能であること、その事実を、事実として中間報告するにあたって、言葉を弄することによってもう一つ別の事実を「捏造」してしまったのです。それは「科学」を生命線とする学会の仕事と言えないのはもちろんです。
しかし、事実は一つです。
 東電福島の重大事故の事実は取り返しが付かないし、もし、この事故に言うところのエンドステートがあり得るとすれば、生きものを拒み続けるか、たとえばエンドステートなる言葉があり得るとして、その内実は、事故処理の困難さ、より正確には「不可能」であることをありのままの事実をして内外に公表することであるはずです。
 こうして、重大事故となった東京電力福島第一原子力発電所事故についての「福島第一原子力発電所廃炉検討委員会/一般社団法人・日本原子力学会」の「国際基準からみた廃棄物管理―廃棄物検討分科会中間報告―」の、いわゆる中間報告の検討によれば、終息の見通しのないままの事故対策が続くこと、環境中に放射性物質を放出させてしまった事故の事実は継続することの「中間報告」として読むことができます。
 東電福島の事故は、事故による原子力施設の爆発によって、本来は完全に閉じ込めることが条件の放射性物質を大量に環境中に放出させることになった事故、それが事故から10年経った今も止められない事故であることです。事故がそうなったのは、すべての電源の喪失によって、燃料及び周辺の機器が溶融し、10年近く経った今も、事故対策そのものを困難にしている、要するに放射性物質の環境中への放出を止められなくなっていることです。これが東電福島の事故の事実です。
 「中間報告」は、この事実に事故の事実以外の定義を学会・学問の名において与え事故の解決の道筋を示そうとするものです。この検討の冒頭で言及した「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、「中間報告」が目指すところを、少し先取りする形で具体化する施設とも言えます。ですから、伝承館は、伝承と言う言葉の本来の理解から大きく外れて、事故の事実を事実として伝えたりすること、あるいは伝えようとする人は排除されます。
 学会が学問の名においてする「中間報告」ですから、起こっている事実を可能な限り明らかになる事実の数々から、広く深く研究・検討し、それに基づいて論究を重ね、段階的に事故の事実の理解を示すはずですが、以上の検討により明らかなように、「中間報告」は、解決不能の事故を定義する言葉の置き換えによって、「最終的な状態」としてしまいます。学会・学問の名において、事故は解決、残るは「伝承」の問題と言うことにしてしまいますから、「伝承館」と「中間報告」はつながる、大きな枠組で発想されていると考えられます。更に、この「中間報告」の、標題の「国際基準」は、中間報告が事故の事実の解決の変更にすぎないものを、「国際」の名を付することによって、あたかも広く世界の評価に耐える内容であるとします。しかし、どんなに「国際」の名を被せたとしても、事故が終わりにならない事故現場では、この事故の何よりも困難で、環境中への放出が止められない放射性物質は、どんなに形を変えたとしても、その毒は増え続けています。 
(次週につづく)

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