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小さな手大きな手

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2021年02月04週
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海中の食物連鎖の上位にある魚介類を食す人間に水銀が濃縮される。海を水として見て、生きものの場として見ない。これが進歩を求めた科学技術の基本にある考え方でした。それが結果的に悲劇を招いたのです。生物研究者としては、自然を自然として見る、生きものの存在を見ることができない文明のありようにここで初めて気づき、衝撃を受けました。(「科学者が人間であること」中村桂子、岩波書店)

・1月18日 「変形核燃料取り出しへ/第一原発3号機、年度内全搬出目指す」
・1月23日 「1号機格納容器、圧力が一時低下」
・1月25日 「使用済核燃料、1号機4度見直し、作業阻む高線量」
・1月26日 「使用済核燃料、プールの容量(共用プール)限界、結論先送り続く」「3体つり上げできず、福島第一原発3号機核燃料、1体は未着手」
・1月27日 「第一原発1~3号機、格納容器上ぶた汚染深刻、廃炉作業の新たな障壁に、規制委で調査報告書」
・1月28日 「処理水『情報発信の強化必要』東電改革監視委員長が指摘」「報告書案を了承、一般意見公募へ、規制委」
・1月29日 「風評対策の補助創設、復興庁方針、市町村を直接支援」
・1月31日 「第一原発建屋地下の土のう、破損ゼオライト散乱、除去の見直し立たず」
・2月 5日 「処理水処分急がぬ可能性、経産省『ある時期には決断』」
・2月 6日 「取っ手変形燃料、初移動、第一原発3号機から共用プールへ」
・2月 8日 「第一原発、手順誤り公表1ヵ月後、放射性物質濃度測定の海水採取、問われる東電の姿勢」
・2月 9日 「農地集積事業に注力/飯舘村長」
・2月10日 「処理水対応『必要な時期に』首相」
・2月11日 「大熊町、立ち入り規制緩和へ、来月8日、下野上、熊地区323ヘクタール」「東電第一原発、規制委が違反2件と発表」「第一原発作業員、線量計一時不携帯」
・2月13日 「第一原発、5,6号機を研究施設に、双葉町長」
・2月14日 「本県で震度6強」「第一原発被害確認されず、モニタリング異常報告なし」
・2月17日 「浪江の帰還困難区域、除染面積の算定困難、町長震災10年で会見」
・2月18日 「4月以降『拡大操業』相双漁協方針、段階的復興目指す」
・2月19日 「震度6強、処理水タンクずれる、第一原発、東電公表遅れ」

 2月13日の、福島、宮城などで最大震度6強を観測した地震で、東電は当初、「第一原発被害確認されず、モニタリング異常報告なし」と発表していましたが、18日になって、増え続けるトリチウムを含む処理水を入れるタンクのうち20基前後の位置がずれていたと発表しています。タンクは保管している中味の放射性物質等によって同じではありませんが、「約137万トン分(1047基)のタンクには汚染水を浄化した後の処理水を約124万トン保管している」状態です(1月21日現在)。「タンクは基礎部分に固定していないが、地震などでずれても転倒の恐れは低いという」そんなタンクです。
 2月13日の地震から、1週間近く経ってから「ずれたのは約20基」それも「5センチ」程度と東電が発表している「そんなタンク」ですが、中味はずっと少なからず問題です。何よりの問題は「処理水」と言われるこの水は、処理が難しい、「処理不能」の水、1リットルあたり80万ベクレルと言われるトリチウム、更に除去が難しい他の放射性物質が含まれているからです。「処理不能」で「除去が難しい」放射能の毒が含まれるなら、「溜める」しかないのですが、なぜかそうはならないで、首相が「処理水対応『適当な時期に』」などと口出しをしたりしています。「菅義偉首相は9日、東京電力福島第一原発から出る放射性物質トリチウム含んだ処理水について『適切な時期に政府として責任を持って処分方法を決める』と改めて表明した」(2月10日、福島民報)。
 こうした報道が少なからず困ってしまうのは、東電福島で起こったことへの理解を誤らせてしまうことです。あるいは、誤った理解をたれ流しているとしか、言いようがないことです。
 たとえば「処理」という表現ですが、この原子力発電所の重大事故で取られている対応(10年目を迎える今も緊急事態の緊急対応)では、環境中に放出された放射性物質、その毒は一切「処理」はされていません。事故直後、建屋等の爆発で放出された放射性物質は、そのまま、地球環境を汚し続けていて、現在もその放出を止めることも処理もできていません。
 「汚染水」ないし「処理」と言われている放射性物質は、燃料等が溶融することになった原子炉の溶融した燃料等を冷やす為に注入した水が、それに触れて高濃度の汚染水となっているのを、大きくは2つの段階で「処理」した後の「汚染水」です。「処理」したとされる2つの段階のセシウム及び多核種は、それぞれに処理不能のまま、東電福島の敷地内に仮置きされています。もちろん、本来であればそんなものを、処理不能のまま環境中に放置することは許されませんが、事故の東電福島を特殊な「施設」ということにして、「例外的」にそれを許しています。
 ですから、そんな報道が困るのは、処理できないものを処理と言ってしまう時に、誤った理解が広まってしまう、「東電福島の事故は終わる」と思われてしまうからです。じゃなくって、東電福島の事故は、決して終わることのない事故の始まりであり、現在も進行中の事故なのです。
 ですから、その事故の事実を抜きにして、処理水対応を首相が「適切な時期に」などと表明するのは、事故理解の根本がずれています。処理水の処理を判断する場合、それが放射性物質であること、その毒について、科学があるべき科学の名における判断を示し、その判断を尊重することを前提にしてのみ、首相は「適切な時期に」「対応する」と語る資格を持つことになります。しかし、東電福島の事故全体、その一つである処理水についても、「科学」があるべきその立場に立って科学的に判断、発言しているとは、多くの場合言えないように思えます。「『科学』があるべきその立場に立って科学的に判断する」場合、何よりも尊重されなければならないことの一つが、生きものの一つである人間の生命、それがおびやかされることがあってはならないことへの、科学的な判断、それがおびやかされることがある場合、敏感でかつ素早い警鐘です。しかし、今この国の科学はそのことにおいて、鈍感でかつ怠っているように思えます。いいえ、逆に、おびやかされることに、大きく加担しています。
 たとえば、福島県飯舘村は、事故の原子力発電所からは離れていましたが、爆発の時の風向き及び気象状況(雨、ないし雪)で、村の全域に放射性物質が降り注ぐことになり、それらの情報の多くは知らされないまま、数か月後に全村避難になりました。避難解除を急ぐことになった飯舘村は、解除の場合のゆるい条件を根拠に解除を実施し、子どもたちの学校も2018年春に除染の実施を根拠に、中学校敷地に再開しました。
 広く、放射性物質を除去するということで実施された除染は、その範囲は限られていました。住宅が森に囲まれていたとしても、その敷地から20メートルの範囲が除染の対象でした。飯舘の場合も同様で、中学校の敷地内は、徹底して除染されましたが、そこから一歩外の森は除染されませんでした。飯舘は森の村で、学校などの敷地はどこも森と地続きでした。森の中の学校だったし、子どもたちの毎日の生活もまた、森と地続きでした。再開された、幼稚園、小・中学校は森と地続きですが、そこは、子どもたちの毎日の生活とは厳しく峻別された、近寄っても入ってもならない森に変わっていました。一方、森の側からは、何一つさえぎるものも、そうされるいわれもありません。中でも、風向きによって、どこなりと空中を浮遊する放射性物質は、浮遊した先に、それに感受性の強い子どもたちがいたとしても、容赦はしません。
 2020年6月、そんな福島県飯舘村の、子どもたちの世界そのものであった、敷地から一歩外に出た森の斜面の放射線量の平均値は、1.5μ㏜/hでした。

―――チェルノブイリでなによりも印象にのこっているのは、「すべてが終わったあと」の現実です。物はあっても持ち主はいない、風景はあってもそこに人はいない。行きつくあてのない道、電線。たまに考えるのです。なんなのこれは―――過去なの? それとも未来なの?
 ―――時々こんな気がしていました。わたしは未来のことを記録している…。
(「完全版・チェルノブイリの祈り」スベトラーナ・アレクシエーヴィッチ、岩波書店)
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