(前週よりつづき)
以上東電福島の重大事故について書いてきました。以下の2点は「追補」というよりは、一つ一つがこの事故に終わりがないこと、更に、その事に立脚しない限り、多くの人々が、環境中に放出される放射能の只中で生きることが、「フクシマ」を中心に起こり続けることの言及になります。
1、甲状腺検査
東電福島の事故で被曝した子どもたちで危惧されたのが、甲状腺がんでした。そうして始まったのが、2011年度からの、事故当時18歳以下だった子どもたちを対象とする、「県民健康調査甲状腺検査」でした。2011年度~2015年度の「先行調査」と言われた甲状腺検査の結果、検査対象となった約37万人のうち、「がんを確定、101人」「がんの疑い、14人」でした。
この、子どもの甲状腺がんの検査結果は、それまでの日本で発見される子どもの甲状腺がんの「年間、100万人に1~2人」を、はるかに超えるものでしたが、「精密で検査数が多い」ことの結果であり、「被曝との因果関係は認められない」とされました。この見解と評価は、専門家の間でも見解が分かれています。たとえば結果からは「因果関係は認められない」とする見解が、少なからず乱暴であるのは、子どもたちは東電の事故による放射性物質によって明らかに被曝している事実は、見解が分かれるにせよ、その点はいずれの側も認めている。また、低線量であっても、放射線による被曝は全く影響が無いことはあり得ないことにも、この点でもいずれの側も認めている訳で、因果関係が明確に確認されなかったとしても、だから安全ということにはなりにくいことです。子どもたちの被曝の事実が明らかであるとすれば、急いで因果関係は認められないと断定するのには無理があります。そうではなくって、起こってはならない原子力発電所の重大事故が起こり、明らかに子どもたちが被曝した事実を直視し、念には念を入れて、そのことの推移を見守ることが、東電の事故後の時代を生きる子どもたちへの、当事者はもちろん私たちの責任であるはずです。「県民健康調査甲状腺検査」は、その後2020年度まで続けられていて、「がんの確定が202人」「がんの疑いが49人」となっています。
今まで、学校検査だった検査体制について、「子どもらが断りにくい」ことを理由に、見直すことが検討されています。「いま主体の学校検査は子どもらが断りにくいため、今後は希望者だけの申込制にすべきという意見もある」(3月4日、朝日新聞)。「学校で受ける甲状腺検査について、対象となる高校生らから検査体制などに関する意見を直接聞き取りする方針を決めた」「対象者が甲状腺検査を受けると判断した理由や、学校を会場としている検査の体制、放射線への不安などの実態などを把握する。県の担当者が、検査対象の高校生や大学生、社会人、対象者の保護者合わせて8人程度から話を聞く」(1月16日福島民報)。
福島で、「県民健康調査」「甲状腺検査」が実施されるのは、そこで東電福島が、環境中に放射性物質を大量に放出する事故を起こしたからです。結果、子どもたちも被曝してしまいました。その結果の甲状腺検査です。だったら、それを実施するにあたって必要なことは、いくつかあります。
① 東電福島の事故の事実を解りやすく伝えること
② 事故の結果、中でも福島で甲状腺検査が必要であることの意味とその必要について、解りやすく伝えること
③ 検査の結果と事実について詳細を伝えること
④ 検査の結果についての責任ある対応について、解りやすく伝えること。たとえば、「がんと確定」した場合の、必要な医療及び医療費などの負担、および責任の所在を明らかにした上での保障
尚、④については、福島県県民健康調査課、甲状腺検査係(奈良さん)によれば、「がんと確定」し、手術が実施された場合、その後の医療費の自己負担分については、福島復興サポート事業から「生涯」負担されるとのことでした。しかし、被曝との因果関係は認めていませんから、「保障」はありません。
2、東京電力福島第一原子力発電所事故の調査・分析に係る中間取りま
とめ
10年前の、東電の事故の3日目くらいに、「ベント」のことが話題になっていました。直接の当事者である吉田所長か誰かが、「ベントの実施は、とても残念である」と語ったと新聞が報道していた。ベントが何を意味しているか、要するに大量の放射性物質を環境中に放出することになるのを、当事者として誰よりも承知していたからです。もちろん、東電は、原子力発電所がベントを実施するような事故になることは、想定していませんでした。一つにはベントを実施するような事故は、原子力発電所ではあり得ないと考えていたのと、何よりもそれを想定して稼働するとして、その事故対策は立てようがないことが解っていたからです。ですから、その当時東電が発行していた東電の事業内容の、原子力発電所の項には「重大事故」の言葉はありましたが、事故対策については一言も書かれていませんでした。
しかし、重大事故は起こってしまいました。その事故の詳細は、事故から10年が経っているにもかかわらず、東電が明らかにしている訳ではありません。
事故から10年、原子力規制委員会が自ら、事故のベントに関係する部分などを調査し、その報告書(案)を発表しています。「東京電力福島第一原子力発電所事故の調査・分析に係る中間取りまとめ」(以下事故分析)です。それによれば、事故の絶体絶命の避けられない状況だったのに、2号機ではベントが実施されませんでした。「2号機はラプチャーディスクが破裂しておらず、同号機は一度もベントに成功しなったと判断する」(事故分析、P.11)。
「事故分析」によれば、起こっていたことは、以下のようになります。「1/2号機の排気筒基部の汚染による放射線量は、東京電力福島第一原子力発電所事故直後には10㏜/hを超えており、現在でも4㏜/hとなっている」「この点を調査した結果、1/2号機共用排気筒にはベントガスを排気筒頂部まで導く排気配管が存在せず、PCVから導かれたベントガスが単純に排気筒基部に流入する構造となっている」(事故分析、P.14)。
ベントを実施するような事故は、原子力発電所の取り返しの付かない事故だが、それでも起こり得ることを想定しないで稼働するより大きな誤りと、更に大きな取り返しの付かない事故につながり得ることを想定する場合の問題が、そこにはありました。「ベントの成否に直接の影響はなかったが、規制委の更田豊志委員長は、水素が排気筒内に出る構造だったことを問題視する。高濃度の水素が空気中の酸素と混ざれば、水素爆発のおそれがある。排気筒が壊れれば、事故はより深刻になっていた」(2月28日、朝日新聞)。
こんな重い重い福島を10年間背負い続けた一人が武藤類子さんです。そんな武藤類子さんの10年の言葉をまとめられたのが、「10年後の福島からあなたへ」(2021年2月/大月書店)です。ノーマ・フィールドさんは、それらの言葉について「…表現の美しさが、畳みかけてくる試練を耐えうるものに、痛ましい経験を心に持ち続ける強さとなり、行動へとつながる契機となっています」と、言葉を寄せています。
3、以下事故10年を目前にして、福島民報
・3月1日 「廃炉の定義定まらず」「第一原発3号機、核燃料取り出し
完了/1,2号機、線量が壁に、今後の作業に課題残る」「盲
点だった燃料プール」
・3月2日 「立ち入り規制緩和発表、8日大熊町の復興拠点一部」「新
たに3か所で基準超、タンク連結部の伸縮幅、第一原発」
「学校保管の除染廃棄物搬出完了」
・3月3日 「双葉の災害伝承館、きょうから内容充実/実物展示、解
説を充実追加」
・3月4日 「双葉町、町内で水稲試験栽培、震災後初」
・3月5日 「大熊町復興拠点、先行解除1年、インフラ、除染課題」
「第一原発1号機、格納容器水位低下で、きょうにも注水
増加」
・3月6日 「第一原発、新たに4か所基準超、タンク連結管の伸縮幅」
・3月7日 「中間貯蔵除染土、県外拠点、土地2町の思い発信、環境
相」
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