2015年2月から始まった、沖縄辺野古新米軍基地建設反対の座り込みへの参加は、昨年5月で中断したままです。当初は、ほぼ毎月の参加でした。「辺野古って、なに? 沖縄の心はひとつ」(沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議編、七つ森書館)で見つけた「埋立工事の強行は、…沖縄県民の尊厳を踏みにじるものであり到底容認できるものではない。怒りを込めてこの暴挙を糾弾する」の、中でも「尊厳を踏みにじり」に、少なからず心をゆさぶられたからです。
「尊厳を踏みにじり」は、すぐそこに生きる子どもたちの身近な現実でも、起こり続けていますが、誰もそれを「…尊厳を踏みにじり」とは、受けとりません。たとえば、子どもたちの毎日の給食の時間が「黙食」でなければならないなんて、「尊厳を踏みにじり」そのもののはずです。でも、誰もそんな風に受けとっているようには見えません。その時々のうれしい哀しいなどの言葉を発すること、自分の考えを持ちそれに基づいて行動するなどの、人として生きる権利や自由が守られ、保証されること即ち、「尊厳」は、守るに値するし、守らなければならないにもかかわらず、子どもたちはそれをおびやかされ、たとえば「黙食」を強いられたりしています。37度線以北のこの国では、尊厳は死語なのです。
何度目かの辺野古で、「単独者」の「その他おおぜい」であることが許されなくて、自己紹介をせざるを得なくなりました。で、紹介させてもらいました。「…ここ、辺野古でのことで、それが死語になっているこの国・日本で『尊厳』という言葉に出会い、しかしその言葉『尊厳』は、世界のどんな場所であっても、いつの時代であっても決して死語にはならない。その言葉において生きる人たちがいるなら、そこに行かない理由はない。兵庫県西宮の菅澤と言います」。
そうして、ほぼ月一回の座り込みに参加することになった辺野古で、「名前を名乗って」出会うことになったのが、島田善次さん(日基宜野湾伝道所)、石原艶子、そして富樫守さんです。石原さんを紹介して下さったのは、島田さんです。島田さんや富樫さんとは、その後の宜野湾市長選挙で沖縄の選挙に、深く深く深入りすることになり、「応援歌、かえるえる組み木」を大量に作ることになったりもしました。西宮あたりだと、多くのの選挙で立場を鮮明にして街頭に立ったりの応援には、そこで生活しているにもかかわらず行動に移したりしない。しないのはなぜだろうか。たぶん、そうして政治から遠い位置で済ませていることがひずみとなって、沖縄がそこで生きている人たちの生活の只中で、抜き差しならないひずみとなり、今までも、そして今も沖縄島で生きる人たちの生活の細部までおびやかすことになっているのだと思えます。
注:兵庫県西宮市に住んでいて、地方はもちろん国政選挙などで、特定の候補者の応援で街頭に立つということはありません。なのに沖縄では、辺野古で出会った人たちがするように、出会った人たちと宜野湾市長選挙、名護市長選挙、沖縄県知事選挙などの真っ最中に、街頭に立ったりしてきたのは、矛盾しているというか、かなり不自然ではあるのです。ただ、そうではあるのですが、広い意味での政治ではなく、政治、選挙は沖縄島で生きる限り遠くはないというか、かなり身近なのです。例えば、宜野湾であれ、名護であれ、市長選挙の「誰に投票するか」は、今日、明日の私の生活、生き方に直接及ばなくはないくらい近くにあって、その距離で、どの候補に投票するかが迫られるのです。たとえは、2年前の名護市長選挙の場合(その前もそうでしたが)現職の稲嶺さんは、その政治姿勢においても、市政においても、何一つ失策はありませんでしたが、敗因というか、相手候補の勝因となった何よりの政策は、具体的に解かりやすく、その一つが「給食費の無償化」でした。もちろん、その公約は、財源の見通しが立たないと出来ませんが、はっきりと公約しました。そのための財源がどっかから降ってわいたのではなく、すべて国からの資金で公約し、実現するのです。その資金は、国が米国(沖縄米軍)と進めている、沖縄の米軍基地の「再編交付金」という名の国からの補助金によって、充当されています。稲嶺さんは、普天間基地を名護市辺野古に移すことを前提に進められる再編の「再編交付金」を拒否してきました。市長選挙の相手候補は、基地問題については名言を避け、明らかに交付金が目当ての資金での「給食費無償化」を公約していました。この点では、宜野湾市長選挙も、選挙の度に、同じ構図で闘われてきています。沖縄島の人たちが、望むと望まざるにかかわらず、たとえ地方選挙であっても、国の姿がちらちらし、誰に投票するのかは、その事の影響のもと、否応なく選択も迫られます。選挙も国の力も、遠くはないのです。
「かえるのうた」は、そんな宜野湾市長の選挙で、解かりやすく「かえる」願いを歌い言葉にすることで作られ、2000個を超える「かえるバッヂ」、4000枚近い「かえるしおり」「かえる組み木」になったりしました。
(次週につづく)
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