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2021年03月04週
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(前週のつづき)
 こうして、選挙も国の力も、常に沖縄島で生きる人たちの生活に直結し、かつ根底を揺さぶるものとしてあり続けるのが、島の人たちの生活に日常的に侵入し脅かす米軍基地です。具体的には、基地で繰り返される戦争に直結する訓練です。以下、島の新聞が日を置かずに取り上げるその訓練の一コマ一コマです。そして、沖縄島は常に世界の戦争に巻き込まれる。いわば、「戦場」なのです。

 今それを、地元の新聞から拾い出してみると以下のようになります。その一つ一つは、たとえば西宮で生活している限りは、見ることも現実の生活をおびやかすという意味でも決してあり得ない事実の数々です。

・2月10日 「津堅沖で降下訓練、米軍、12日まで連日計画「酒気運転の疑い海兵隊員を逮捕」
・2月11日 「津堅沖で連日の降下訓練」「金武湾でも低空飛行、米軍MC130J5日に5回」
・2月12日 「わいせつ容疑米兵逮捕、那覇、帰宅途中の女性被害」
・2月13日 「辺戸で低空飛行相次ぐ、米軍大型機、国頭村上、抗議へ」「卒業式『飛行自粛を』教育庁、防衛局に要請」「嘉手納で訓練のFA18緊急着陸」
・2月14日 「逮捕の海兵隊員送検、那覇署、強制わいせつ容
疑」
・2月18日 「低空飛行辺土名も、米軍機、国頭の海港周辺」
・2月19日 「米軍、普天間の墓撤去へ、資材置場拡充で2
基」
・2月20日 「米軍低空飛行が常態化、県内各地で目撃/本当南部でも相次ぐ/昨年100メートル以下も」
・2月21日 「酒気運転の疑い、米海兵隊員、北谷の野道で」
・2月23日 「クジラの頭上、低空飛行、座間味沖、米軍機
か」
・2月24日 「名護沖で低空飛行、米軍機2日連続で確認」
・2月25日 「大宜味でも低空飛行、学校近く米軍か、村議会
抗議」
・2月26日 「具志堅さんハンスト、来月から、土砂採取断念求め」「騒音被害の実態、住民目線で調査」
・2月27日 「遺骨残る土『使わせぬ』、基地に利用『非人道的』1日からハンスト、ガマフヤーの具志堅さん」「土砂採取断念、防衛局に要請/ガマフヤー」
・3月5日 「高校入試日に離着陸、嘉手納外来の戦闘機」「陣地壕から遺骨8体、糸満2体は子ども/青森のボランティア発掘」
・3月6日 「座間味、また低空飛行、米軍2機か」
・3月7日 「ハンスト終了、戦没者悼む心一つに、少女が、
遺族が、若者が訴え」
・3月9日 「米軍降下訓練、津堅島で実施」「外来F352機、普天間に飛来、住民から騒音苦情」
・3月10日 「普天間にF35.騒音122デシベル」「学校上銃出し飛
行か、米軍ツイートを削除」
・3月11日 「物資をつり下げ、オスプレイ訓練、宜野座の民間地上空」「機体トラブルか、米軍機緊急着陸か、嘉手納基地」
・3月12日 「シュワブ沖でつり下げ訓練、米軍」「普天間に
F353日連続飛来」
・3月13日 「津堅沖降下訓練、米軍今年5度目」
・3月14日 「米兵銃持ち県道歩行、東村高江訓練場ゲート付近」「嘉手納火災11日前にも/昨年6月、米軍事故調『対応怠る』/危険物ずさんな管理」
 
たとえばこうして、沖縄島の南から北まで、場所、時間を問わず、「低空飛行」が繰り返されています。沖縄島で、こうして飛行を繰り返す米国軍隊のほぼすべては「海兵隊」です。いつ、どこへでも、戦争を仕掛ける為に、即行動できる体制にあるのが海兵隊で、過去のアフガニスタンやイラクのアメリカの戦争の場合にも行動を起こしてきたのが海兵隊です。臨戦体制の臨戦の訓練の低空飛行であり、たとえば緊急着陸という場合も、のんびり飛行していて、たまたまの緊急着陸であったりする訳ではありません。ですから、3月10日の「学校上銃出し飛行か、米軍ツイート削除」の場合も、要するに「機銃」を装備し、いつでも「機銃掃射」の体制にある戦闘機が、低空で学校の上を飛行しているのです。「人間」の操縦する戦闘機の機銃の引き金は、いつどこで引くことがあっても、たとえ学校上空であても、引かないと断言はできないのです。要するに、危ないものが時と場所を選ばずに飛び回っているのが、沖縄島の現実です。ひるがえって、どうして沖縄島で、兵庫県西宮ではないのか。兵庫県西宮に住んで50年余り、いまだかつて、米軍機(らしきものも含め)が、低空で飛んでいたりするのは、もちろん一度だって目撃することはありませんでした。
 それが、何故沖縄島では起こってしまうのか。
 2月19日の「米軍、普天間の墓撤去へ、資材置き場拡充で2基」ですが、普天間基地内には、古い墓が12か所あると言われています。「古い墓」と言っても、祖先を祀ることを大切にする沖縄島の人たちにとって、古いと言っても現役です。その古いと言われる墓も含め、沖縄戦の後、普天間の人たちも「捕虜」となって別の地域に収容されている間に有無を言わさず囲い込んでできてしまったのが、沖縄の米軍基地、その一つが普天間基地です。捕虜としての収容状態が解放されて帰ってきた時、頑丈な金網と有刺鉄線で囲まれた、決して入ることのできない場所になっていました。
 なのに、たとえば普天間基地をめぐるやり取りで、既にある基地の周囲に人が集まってきただけだと言われたりします。太平洋戦争の末頃、沖縄島を特定しそこを戦場にすることを前提に兵力を集中し、結果的に沖縄島は基地の島になり地上戦の戦場になってしまいました。沖縄島は基地の島ではなく、人々が日々の生活を営む島でしたから、生活している人たちの生活を根こそぎ巻き込んだ地上戦で、おびただしい生活をする人たちの血が流されることになりました。
(次週につづく)
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