映画「“かくり”の証言」制作協力のお願い
難波幸矢(なんばさつや)さん(光明園家族教会)などが中心になって、ハンセン病の国立療養所の「長島愛生園、邑久光明園」での生活を強いられた人たちの「“かくり”の証言」の映画製作が進められています。
ハンセン病の患者が、強制収容された“かくり”の実態を、多く理解できている訳ではありません。最近では、この度の映画で“かくり”の実態を明らかにしようとしている愛生園のことを描いた「麦ばあの島」(著:古林海月/すいれん舎、全4巻)を週報などで紹介し、西宮公同教会の蔵書にもなっています。教会学校の子どもたちの沖縄でのキャンプでは、名護市のハンセン病療養所愛楽園の夏まつりには、日程の許す限り参加してきました。「愛楽園」については、ハンセン病患者に強いられた“かくり”を自ら体験した、平良仁雄さんが「『隔離』を生きて―ハンセン病回復者の愛楽園ガイド」(沖縄タイムス社)に詳しく書かれています。
映画の制作にあたっての、難波幸矢さんたちからの呼びかけに、西宮公同教会として、可能な限り協力が出来たらと願っています。(映画製作の詳しい内容については、別紙をご覧下さい)。
映画「かくり」の製作にあたり、難波幸矢さんから呼びかけのあった募金に協力させていただくことになりましたが、その報告をさせていただきます。
その「かくり」の、国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で実施されていた遺体の解剖の「解剖録」のことが大きく報道されています。「…開園翌年の1931年~56年に死亡した入所者のうち、少なくとも1834人の遺体が解剖されていたことを示す『解剖録』が確認された。愛生園によると、この間の死亡者8割を超え、専門家は『入所者の解剖が常態化していたことを具体的に裏付ける資料』と話している」。この事実は「常態化、本人の同意ない例」なども考えられています。「…報告を受け、国は入所者らの解剖への同意について調べるため、同意を示す署名や母印がある『死亡者関係書類』を調査。その結果、同意の日付けの多くは死亡日の直前、3~7日前だった。当時の医師とよく似た筆跡もあったという。国は『危篤状態の入所者からどう同意をとったのか疑問が残る』としている」(3月26日、朝日新聞)。
愛生園に隣接するもう一つの療養所邑久光明園の光明園家族教会で働き、ハンセン病患者のよき理解者であったことを自負するH牧師は教会でも実施されていた「かくり」の事実(出入口を分けるなど)について、「患者、職員相互にとって、合理的でよいことだ」として、ゆずりませんでしたし、公言もしていました。しかしこうした事実は、「かくり」がすべて等しく人間であるべき者の一方を人間、一方を人間以下として峻別することを自明とすることに、そのまま直結していたことを明らかにしています。
ハンセン病については、沖縄島ではヤマト・日本からの影響下で重層する差別、「かくり」が厳然としてあった事実を明らかにしているのが「『病者になることとやめること/米軍統治下沖縄におけるハンセン病療養所をめぐる人々』(鈴木陽子、ナカニシヤ出版)であり、同じように重曹する差別の事実を明らかにするのが「在日朝鮮人とハンセン病」(金貴粉、クレイン)です。
以上、不十分なまとめになってしまいましたが、ハンセン病患者として隔離された人たちの「かくり」の事実を追求し明かにすることは、まだまだ明らかになっていない差別の事実を共有する大きな手掛かりを提供することになります。
制作協力をしてくださった方々
前田 貞枝 金澤 圭子 児玉 道子
谷 勲 稲冨 澄男 塩見 祥介
加来 尚 三丸 聡 三丸都世子
守屋 寛子 二宮百合子 岡 理恵
武藤 類子 大河原さき 菅澤 邦明
津畑 順子 森 梢 田場 依子
赤刎 正清 山本 桂子
神戸イエス団教会
以上、20名1団体より、144,500円を、呼びかけてくださった難波幸矢さんに、お届けしました。
[バックナンバーを表示する]