先週よりのつづき)
こうして歌われる時の歌で、決して避けて通れないのが、島と島の人たちが強いられた戦争の惨禍です。
戦争の惨禍から80年近く、今もその惨禍の終りを迎えられない人たちが、骨となって島の土に埋まっています。
そうした「土」が「開発」を口実に掘り返されることに反対し、ハンガーストライキの座り込みなどで抗議してきたのが、具志堅隆松さんで、鉱山開発の許認可権を持つ沖縄県に、採掘の禁止命令を出すことを求めてきました。しかし、沖縄県は「見送る」ことを決めています。「県は15日、沖縄戦跡国定公園内にある糸満市米須の鉱山開発計画を巡り、業者に対し自然公園法に基づく開発の全面禁止や一部制限する命令を見送る方針を固めた」「糸満市米須の鉱山開発を巡る問題で、県は自然公園法に基づく、開発の禁止や一部制限に踏み込まない方針を固めた。利権の制限に関わる問題で、訴訟になれば不利になる可能性が高いと判断した」(以上、沖縄タイムス4月16日)。
沖縄県議会は沖縄戦戦没者の遺骨を含む土砂を埋め立てに使わないよう求める意見書を「全会一致」で国に提出しています。
日米首相の共同声明の2つの国の安全保障上の要の一つとして、「核を含むあらゆる種類の米国の力」が明記され、80年近い戦争の惨禍の終わりを迎えられない人たちの骨が埋まっている可能性のある土砂が、新たな戦争を想定する、新たな基地建設の埋立て使われようとしていることに、沖縄県議会が「全会一致」で、国に対して意見書を提出しています。
共同声明の固有名詞も、県議会の意見書の固有名詞も、他の日本、ヤマトのどこの場合も、こんな形で登場することがないだけでなく、そのいずれも、現実的な政治と現実的な戦争を背景にしているのも、大いに異なっています。こうして明らかになるのは、沖縄の新聞が、断続的に報道する海兵隊の飛行機の低空飛行も、パラシュート降下訓練も、軍用機等の緊急着陸もすべて、現実的な政治と、現実的な戦争が、沖縄島全体を、 そこで生きて生きて生活する人たちが、その政治、その政治に既に巻き込まれていることを示しています。もちろん、それらは今までも、そして既に沖縄島で生きて生活する目の前で、それを脅かされずにはおかないで繰り広げられてきました。沖縄の米軍基地は、島の人たちがそこに立ち入ることは、どんな意味でも許されません。基地警察ないし、米兵の銃がそれを許さないのですが、日米軍基地内からは、島の人たちの生きた生活する世界には、何一つ制限はありません。
それらを決めているのが、今回の日米共同声明の日米の安全保障条約であり、日米地位協定です。
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