昨年10月24日の「菅首相の所信表明演説」で、「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」とし、「…成長戦略の柱に経済と環境の好循環を挙げて、グリーン社会の実現に最大現注力してまいります」と、「宣言」しています。「宣言は、更に次のようにもなっています。「鍵となるのは、次世代型太陽電池、カーボンリサイクルをはじめとした革新的なイノベーションです。実用化を見据えた研究開発を加速度的に促進します。規制改革などの政策を推進し、グリーン投資の更なる普及を進めるとともに、脱炭素社会の実現に向けて、国と地方で検討を行う新たな場を創設するなど、総力を挙げて取り組みます」。こうして、言及されている「温室効果ガスの排出を全体とゼロにする」及び、「脱炭素社会の実現を目指す」とする時、「原発『復権』への動き」が言われている言葉からは、念頭にあるとは思いにくかったのですが、所信表明演説の菅首相の頭の中には、そのための手立てはほぼすべて、「原発」になったように思えました。
4月17日の「日米首脳共同声明」では、温室効果ガスの排出についても、そこそこ重要な課題として、言及しています。「日米両国は、双方が世界の気温上昇をセ氏1.5度までに制限する努力、及び2050年温室効果ガス排出実質ゼロ目標と整合的な形で、2030年までに気候行動を取ることにコミットした。この責任を認識し、菅首相とバイデン大統領は『日米気候パートナーシップ』を立ち上げた。このパートナーシップは、①パリ協定の実施と、2030年目標/国が決定する貢献(NOC)の達成。②クリーンエネルギー技術の開発、普及、及びイノベーション。③各国、特にインド太平洋におけるその他の国における脱炭素化を支持する取り組み。の3本柱からなる」。この共同声明の文字で見、かつ判断する限りの日米は、言うところの「脱炭素社会」の実現のために、「原発」を念頭においているとは考えにくいように思えます。もし、「原発」なのだったら、それを巡る協力関係はもちろん、そもそもそれに触れないのはあり得ないように思えます。しかし、たぶん「菅総理」には、本気でその精神において「パリ協定を実施」することの意味や、「グリーンエネルギー技術の開発」はたやすくはないが、しかし、脱炭素社会、温室効果ガスゼロを口にする場合、決して避けては通れないことが、ほぼ全く頭も心も過ぎりはしなかったように思えます。思えますから、この国、政府は、さっさと「原発『復帰』の動き」になってしまいます。
こうした所信表明、共同声明に、どんな「思惑」を働かせるにせよ、4月23日の新聞の大きな大きな見出しの「脱炭素の大波」を、世界がかぶることになったのは、「温室効果ガス」を無制限に出し続けることを、良しとしてきた結果、自分たちが生きるこの地球環境が、抜き差しならないところに来てしまい、しかも、そのことの危険をこれからの地球を生きる若者にも突き付けられ、その現実を認めざるを得なくなった結果の「脱炭素の大波」のはずです。考えるべきなのは、今までと同じようなエネルギーの消費を自明とする社会、生活ではなく、「省エネルギーの徹底」を優先し、「再生可能エネルギー」で得られる範囲のエネルギーの消費による社会、生活の構築であるはずです。
なのに、たとえば「政府が、産業界に求める脱炭素化の対応」は、以下のようになっていたりします。
・燃焼時に、CO2を出さない水素を使った製鉄法の技術開発
・2030年代半ばまでに、乗用車の新車販売をすべて電動車に
・水素やアンモニアを使うエンジンの開発
・農業機械や漁船の電化に向けた技術の開発、普及
・航空機の電動化や水素燃料への転換に向けた技術開発
・ビッグデータや人口知能を活用したエネルギー消費の削減
こうした理解による「脱炭素化」の実現の基本として考えられているのは、そのほとんどが「電力」であり、その要の一つとして「原発」に依存する「エネルギー基本計画です」「…現在の計画では、30年度の総発電量に占める電源構成を、再生エネルギー22~24%、原発20~22%、石炭火力26%にするとしている」。東電福島の事故の後、2019年度で、6%の原発比率を大幅に増やすことで、「エネルギー基本計画」の脱炭素化が計画されているのです。「原発『復権』への動き」です。「自民党では、今月12日、原発の新増設を推進する議員連盟が発足。顧問には安倍晋三前首相や、甘利 明・元経済産業相が名を連ねる」(4月23日、朝日新聞)。
「原発『復権』への動き」は、脱炭素化の名のもとに、「運転開始から40年を超える老朽原発を含めた再稼働」を、加速させようとしています。
ここには、現実に起こってしまった東電福島の重大事故とそれに立ち向かうことの困難さ、原発を稼働する限りそれが起こり得ることは、何一つ顧みることも、考慮もされていません。「土屋は、事故以降、免震棟が懸命に対応にあたっても、1号機の爆発、3号機の爆発と、決して制御できない原発の恐ろしさを身にしみて感じていた。そして、今また、続く2号機との格闘は、これまで以上の最大の危機に見えた。不意に思った。魔物を起こしてしまった。人が制御できない魔物を起こしてしまったのではないか。かつて、自分には統制が取れた姿に見えていた原子力というものが、今は、心の底から怖かった」(「福島第一原発事故の真実」NHK、メルトダウン取材班、講談社)
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