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2021年08月03週
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(前週よりのつづき)
「アンダーコントロール」
(2013年、IOC総会でオリンピック招致にあたってのアベ演説)


 こうして区分された区域や区域外であっても、そこで人間が居住するにあたって放射性物質が測定される場合には、それを除染することになりました。住宅等であれば、それを手作業で拭き取り、農地であれば削り取り、樹木については伐採し、などです。汚染されたその場所とそれらのモノが危険とされたからです。そうして、拭き取り、削り取り、伐採された「モノ」は、危険である為、別の場所に移すことが求められましたが、そして、それら放射性物質を含む「モノ」はそれを除去することは不可能である為、別の場所に移して保管することが必要なのですが、何しろ「半永久的」に危険であり続けるそんなモノを移す場所、最終処分場は当面は見つからない為、しかし、急いで移す「一時的」な保管場所として「中間貯蔵施設」が設けられることになりました。もちろんそんな場所も簡単には見つかりませんでしたから、東電の事故で区域3になった、双葉町、大熊町にその場所が置かれることになりました。人間が生活する為には危険でかつ帰還困難と区分された場所に、危険を理由に削り取られたりした放射性物質が運び込まれる「中間貯蔵施設」が建設されることになったのです。6月15日現在、そこに運び込まれた汚染土壌などは、約1100万立方メートルです。「除去土壌輸送量1100万立方メートル超。中間貯蔵施設」(6月15日、福島民報)。そこを管理している環境省は、建設中でかつ汚染土壌等の搬入が続く、中間貯蔵施設を「公開」しています。現実的に最終のあり得ない、言葉をあやつるだけの「中間貯蔵施設」を公開して、誰かに「最終処分場の見通しは」などと問われたりしたら、どう返答するのだろうか。もし、あり得ない最終処分場であるにもかかわらず、中間貯蔵施設を、堂々と「公開」するのであるとすれば、環境省というものが、あらゆる意味で環境に鈍感であるか、環境を自ら愚弄しているとしか言いようがありません。「東京オリンピック」に結び付けたような、放射性物質の「アンダー・コントロール」は、この場合にもまた成り立っていないし、成り立ちようがありません。
 そもそもが、放射性物質は、どんな意味でも環境中に放出させない以外、「アンダー・コントロール」はあり得ないのです。もちろん、東電福島の重大事故のように、既に環境中に放出させてしまった放射性物質の場合、削って他の場所に移すぐらいしかできないし、現在も事故と事故対策が進行中で、現在も放射性物質を環境中に放出するのを、ほぼ手をこまねいて見るよりない東電福島の重大事故の原子炉には「アンダー・コントロール」はあり得ません。
 東電福島の重大事故の原子炉であっても、いわゆる「廃炉」が可能ということで、緊急の事故対応及び廃炉作業に当たっているのが、国・東電で組織された「廃炉カンパニー」です。もちろん、言われている廃炉作業は、遠隔操作のカメラによる限られた部分の視認、やはり遠隔操作によるほんの一かけらの溶融燃料の取り出しですから、たぶんそんなのは廃炉作業とは言えないはずです。数百トンとも言われる溶融燃料及び同じように3000度とも言われる超高温で溶けてしまった、炉材やコンクリートが融合し超硬度で固まってしまった溶融燃料・デブリを、ほぼピンセットに等しいような遠隔操作の道具で取り出すことなど、到底不可能です。そして、それを何よりも阻んでいるのが、場所によっては、数100シーベルトとも言われる、放射線量です。山名元原子力損害賠償・廃炉等支援機構理事長の「廃炉作業は『次の段階に進む』」はどんな意味でも次の段階に進みそうにないし、「進む」のだったら、その具体的事実を示す必要があります。たとえば「6月25日『デブリ取り出し、2022年秋にも開始、採取アーム来月上旬に国内に』」(福島民報)とありますが、そのアームなるものが、どんなに性能が良かったとしても、アームを遠隔操作で挿入できる管は限られているし、やはり超高濃度の放射線量が、決してアームを働きやすくはしてくれそうにありません。
 ただし、「廃炉カンパニー」を設立し、廃炉はあり得ると言う幻想、事故及び放射性物質が「アンダー・コントロール」されているという幻想が、「東京オリンピック」であり、その東京オリンピックが、一方で「廃炉」という幻想をまき散らしかつそれがあたかもあり得ることとして受け入れられているのが、この国の現実・現在であるのです。
 東電福島の事故で降り注いだ放射性物質で、事故直後に避難した人たちが、元の住居に戻る場合の、放射線量を元に3つの区域に別けられましたが、双葉町はほぼ全域が帰還困難区域になりました。その双葉町に住民が戻る為の「手がかり」として設けられることになったのが「復興拠点」です。元々、双葉町の中心になっている地域で、帰還困難となっていた地域を、集中的に除染し避難解除することを目的に取られた、町と国の合意で決められた「拠点」です。双葉町の人たちが避難した経緯などからは、区分の元になった放射線量が50m㏜/年以上から、1m㏜/年以下になることが、そこに人が戻る条件でしたが、限られた地域を集中的に除染し、町の人たちが戻る拠点にするのが「復興拠点」です。何しろ、拠点以外は、放射線量が50m㏜/年以上ですから、たとえ拠点になったとしても、そこが安全とは考えにくいのが自然です。しかし、そこは「復興拠点」ですから、なにがしかの方法で、人が戻る形をつくる必要があって生み出された方策の一つが「準備宿泊」です。いずれは、人が戻って生活する「準備」なのでしょうが、何か変なのは、避難をした時の区分、そしてその解除と、この「準備」は、どこで結びつくのかが不明であることです。復興拠点と言い、準備宿泊と言い、聞きなれない言葉が登場する、東電福島の事故の後の言葉の例です。言うところの、「アンダー・コントロール」で始まる自己理解で、その時及びその後に起こる事態を見る時、「造語」としか言いようのない、復興拠点、準備宿泊のような言葉と、その言葉による新たな別の事実が、あたかも、東電福島の重大事故後のあたかもあるべき可能性として「物語」が生まれてしまっている、その始まりが「アンダー・コントロール」なのだと考えられます。
(次週につづく)

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