2006年度で“関西神学塾”は23年目を迎えます。“塾”とは言え、聖書に聞き教会を問う取り組みは、その都度、類を見ない水準と内容であったはずです。西宮公同教会はその関西神学塾を創りだす働きの一端を担い、今日までその歩みを共にしてきました。
2005年度の関西神学塾の講義は以下のような内容でした。
田川建三先生のマルコ福音書註解の講義はもうすぐ9章に入ります。毎回、原稿になった詳細な注解およそ10ページ分が受講者に渡され、その概略が講義の内容になってきました。そんな具合で1年間にほぼ1章進んでいますから、あと4年くらいで、“マルコ福音書註解・中巻”にあたる部分の注解が完了し、待望の一冊にまとめられることになります。
桑原重夫先生は、“フックを使って共観福音書を読む”はしばらく中断し、現在は使徒行伝を読んでいます。使徒“言行録”としてではなく、自分たちが継承すべきは何かをそんなに外れずに受けとめ、それを初代の教会及び教会の理念とし、強い意志で生きた人たちのいたことが、桑原先生の講義で生き生きとよみがえります。
勝村弘也先生が現在取り組んでいる死海文書の翻訳の仕事が、そのまま関西神学塾の講義になっています。死海文書の重要さは、それがイエスと同時代を生きた人たちの文書であること、そのことで教えられるのは、たとえば同時代の人たちが、旧約の諸文書の思想を正真正銘生きて、自分たちの文書(死海写本)としても書き残したこと、そのことの意味を繰り返し教えられています。
岩井健作先生の宣教学は、教会と聖書を基本に据えて、そこから一歩もひかないで生きてきた、まさしく“岩井健作の宣教学”です。ただ先鋭でもなく、愚直でもなく、聖書に問われ教会の現場で生き、更にそれを問いそれに問われて生きてきたことが、率直に丁寧に語られます。
教会が、宗教が期待されかつ問われていることに、真正面から向かい合ってきた岩井先生の宣教学を出版する準備が少しずつ始まっています。期待が膨らむと同時に、幅広い支援が得られることを願っています。
昨年夏に関西神学塾は“教会と聖書”と共同で第2回目の合宿を行いました。教会の歩みを問い、教会の歩みを創り出すこの試みは、少なからず共感する人の輪を拡げています。
2006年2月に、岩田雅一先生(八戸北伝道所)を特別講義に招きました。よく闘い、よく生きる岩田さんが、教会をめぐるすべての人の“牧会者”であることの発見があったことも、特別講義の大きな成果でした。岩田さんは講義に招くだけでなく、もう一つの本業である写真展を同時に開催することができました。
関西神学塾は兵庫教区常置委員会で、その都度報告の機会を得ると同時に多大の支援を得ています。ただ少なからず残念なのは、教会の現場を視野においてなされている講義が、身近な兵庫教区の教会で幅広い理解が得られてはいないかも知れないことです。聖書から聞き、教会を問うことにおいて一歩も譲らない関西神学塾の働きが、その教会の現場の働きに届くことを願っています。
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